明治以降の日本の代表的な画家といえば、『藤田嗣治』を挙げる方が多いと思うが、藤田2実はもう1人「フジタ」という苗字の画家がいた。

『藤田隆治』である。

下関美術館で、初めて彼の絵を観た。

彼は山口県の漁師の家の、8人兄弟の長男として生まれた。

そのせいかモチーフには魚が多い。

ピチピチとした、それでいて可愛らしい魚たちのスケッチを見るにつけ、さぞ子供の頃は、漁師の手伝いもせずに、絵ばかり描いて、両親のため息をさそったであろう。

高等小学校卒業後、本格的に絵の勉強を始めるが、最初は日本画が多く、屏風絵なども残されている。
だが、どうも彼の日本画は座りが悪いというか、妙に落ち着かない。

躍動的な彼の筆致に、日本画はそぐわないのかもしれない。

やがて少しずつ頭角を現していくのだが、なんといっても大きな出来事といえば、ベルリンオリンピック芸術競技絵画の部で、銅メダルをとったことだろう。(金メダルは該当者なし)

受賞作『アイスホッケー』は残念ながら行方不明である(戦争のためか、彼の多くの作品は存在不明なのだ)

しかしなぜ、温暖な山口出身の彼が、アイスホッケーをモチーフに選んだのか。

若者たちの激しいぶつかり合い、スピード感が彼の絵心をそそったのだろうか。

そして気になるのが、ヒトラーの謁見があったかどうかだ。

そのあたりはわからない。
彼自身も後に、「当時は有頂天になり過ぎていた」と自戒し、あまりこの件については多くを語らなかったらしい。

やがて戦争が始まり、彼も招集された。その後、経済的な理由から故郷に帰り、不遇の日々を過ごす。

だが1959年、52歳の時に結婚し、伴侶の応援もあって、奮起し再び中央画壇を目指す。

1960〜64年の頃の彼の作品は素晴らしい。

生き生きとした躍動感に溢れ、熱い魂がこもっている。

特に私が好きなのは、『動的な群像』だ。

ラグビーのトライの瞬間を描いたと思われるこれには、にじみ出るような筋肉の力強さを感じる。

そうなると、ますます幻の『アイスホッケー』が惜しい。

生命力溢れた『動的な群像』を描いた翌年、1965年、藤田隆治は、心筋梗塞で亡くなる。57歳だった。

藤田3