秋晴れの爽やかな日、以前から気になっていた『旧伊藤伝右衛門邸』を訪ねてみた。

田園地帯を車窓に臨みながら、新飯塚駅に降り立つと、まず『飯塚市歴史資料館』へ。

ここにも伝右衛門と白蓮の写真や手紙、書画などが展示されている。随分関心が高いようだ。

さて、パンフレットには駅より徒歩30分と書いており、気持ちよい晴れの日なので、歩いていく事にしたのだが、途中で道が分らなくなる。

3商売気がないのか、ノンビリしているのか、町中に、案内表示がほとんどないのだ。

通りがかりの人に何度も聞いて、やっと目的地にたどり着いたが、少々時間を無駄にしてしまった。

さて、正面玄関、門の揮毫だが麻生太郎ちゃんの手によるものだ。さすが達筆。

同じ石炭経営者のよしみだろうが、麻生家と伊藤家は、あまり交流はなかったらしい。

「撮影禁止」のため室内の写真は撮れなかったのだが、まず屋敷の広さに驚いた。

それと、さりげなく置かれている調度品の豪華なこと。

また常に庭の景観を計算しているのがすごい。
食堂、奥座敷、2階の白蓮の部屋、それぞれ違った庭が楽しめる。

玄関は、着物の裾さばきが楽に出来るよう、低く作っている。
今のバリア・フリーのハシリか。

またお手洗いも、九州で初めての水洗式である。

「こげんよか暮しば、させてもろうて、なしあげんこつするとかねぇ」

「伝右衛門さんは、こげん気をつかっとらすとに、かわいそかねぇ」

年配の来場者からそんな声がもれる。

4どうも、白蓮さん、分が悪いようだ。

ところで、私が気に入ったのは2階の白蓮の部屋だ。
二間のここは、伝右衛門もめったに入らなかったとのこと。

庭の景観が素晴らしい。

さぞかし彼女は、ここで庭を眺めながら、我が身の越し方について、悩み、悶々としていたのだろう。

気になったのはこの白蓮の部屋に、「チャイナ服」が飾ってあった事だ。

なんでも、再婚した宮崎龍介と白蓮が、国賓として中国に招かれた時、要人から贈られたものだそうだが、そんな宮崎家ゆかりのものを、伊藤邸内で、麗々しく飾るのは、いかがなものかと思う。5

そういえば、この伊藤邸からJRで1時間くらい、荒尾駅の近くに、『宮崎兄弟資料館』というのがある。

これは宮崎龍介の父、孫文の盟友だった宮崎滔天とその兄弟達の資料館である。

「荒尾」もまた旧産炭地。

昔、大問題を起こした彼らが、現在は、旧産炭地の観光産業に一役買っているのは興味深い。

まぁそうしないと、当時、1日中真っ黒になって働いていた炭坑夫(婦)らに、申し訳ない気がするが。

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