先日友人と雑談していた時、彼女がこんなことを言った。

「日本人って、花鳥風月、四季の移り変わりを昔から歌や詩にしてきたけど、『星』をテーマにしたのってあまりないよね」

むう、確かに「桜」などの花々、「月」や「夕暮れ」などをテーマにした歌や詩は多いが、「星」はあまり聞かない。

あんなに四季のうつろいに敏感な日本人が、星について関心を寄せないのはなぜだろう。

七夕伝説だって、中国のものだ。

振り返って西欧ではギリシャ神話に代表されるように星座にまつわる伝説や神話が多いし、東方の三博士は星占いで救世主の誕生を予言し、星に導かれてイエスを礼拝しに来る。

砂漠つらつら考えるに、中国大陸やヨーロッパなどの人びとは、長い間狩猟や放牧で生活してきた。
地図やコンパスのない時代、長い長い距離を馬やラクダで移動するのに、星の位置を把握することは必要不可欠である。

星に関心がいくのも道理だ。

それに比べ日本は農耕社会、長い距離を移動する必要はない。
旅といっても、江戸時代であれば、一生に一度か二度、お伊勢参りをするくらいだろう。

だが、たとえ旅をしなくても、夜空に瞬く星たちを眺めていると、月に負けず劣らず美しいのにぃと思う。

そしてこうも思った。

日本人は星があまり見えなかったのではないか。

元々遠くを眺める必然性のない民族に加え、目に良いとされるビタミンAやB類を含んだ食べ物、例えば牛、豚、レバーなどを食べる習慣がなかった。

かてて加えて、日本人の識字率の高さだ。鯨

それはつまり電気のない昔、薄暗いロウソクや行燈をたよりに書物を読んでいたということで、視力が悪くなるのは当然だ。

教養のある風雅人ほど視力が弱かったのかなぁと推察する。

ちなみに私、年寄りのくせに視力は両目共1.5。数年前までは2.0だった。無駄に目が良い。

満天の星を眺める幸せを感じながら、自分が風雅人でないことを残念に思うのである。