凧揚げ今日本で、凧上げをして遊ぶ子供たちは久しく見なくなったが、昔は東西問わず、男の子の遊びの定番だった。

日本や中国はもちろん、アメリカでも、トルーマン・カポーティの少年時代がモデルと言われる短編『クリスマスの思い出』の中で、主人公バディとおばちゃんが凧上げに興ずる大変印象的なシーンがある。

さて、アメリカ映画『君のためなら千回でも』を観た。

この作品も冒頭、澄み切ったアフガニスタンの空に舞う凧から始まり、最後その凧はアメリカの空を渡っている。

goo映画によるあらすじは下記の通り

1970年代のアフガニスタン。裕福な家の一人息子アミールは、召使いの息子ハッサンと凧遊びをしたり、兄弟のように仲よく暮らしていた。だがある日、小さな二人の絆は思いがけない出来事によって砕け散ってしまう。やがてソ連がアフガニスタンに侵攻。2人の関係は修復されることなく、アミールと父親は米国に亡命する。時は流れ、00年のサンフランシスコ。小説家となったアミールの元に、父親の親友から「君は今すぐ故郷に帰って来るべきだ」と電話が入る…。

平和なアフガニスタン

まず主人公のアミール少年だが、内気で覇気がなく、いじめられっ子タイプで、そんな彼をいじめから守り、けな気に世話を焼く利発な少年が、少数民族ハザラ人の子ハッサンだ。

アミールの父親も、気が利いて凧上げも上手なハッサンを可愛がっており、仲良くしながらもアミールは、ハッサンに強い劣等感を抱いていた。

そのコンプレックスからやがてアミールは、親友であり召使でもある彼に対して大きな裏切りを行う。

あまりに酷い仕打ちに驚いたが、黙ってそれを受け入れるハッサンの従順さにもあきれた。

少数民族として生き抜くための生活の知恵なのかもしれないが、自分を殺したその優等生ぶりには逆に狡さも感じるのだ。

さて時代は移って2000年。

アメリカで作家の卵になったアミールは、亡き父の秘密を知り、それをきっかけに、ハッサンに対する贖罪のため、ある少年を探す旅に出る。

今まで日和見主義だったアミールが突然、付けひげで変装しタリバン政権下、厳戒体制のアフガンに潜入するのだ。

まるで映画『シリアナ』のCIA工作員のようだ(生爪を剥がれる拷問はなかったが)

この予想外の展開以上に気になったのが、作品における、タリバン=絶対悪というスタンスだ。

それで行くと、タリバンとは、常に武装して人々を虐殺し、公開処刑を行い、時々児童をさらっては性的虐待をする、極悪非道な連中ということになる。

だが元々タリバンは、ソ連の撤退後、内戦状態にあったアフガンにおける自警団として、神学生たちによって運営されていたものだ。

ソ連の侵攻後、今に至るまでのアフガニスタンの長い苦難の日々を端折って、いきなり「タリバンがみんな悪い」みたいな描き方をするのはいかがなものか。

アメリカの凧そしてラスト、アフガニスタンで性的虐待を受けた少年は、アメリカでアミールの家族と暮らすことになるのだが、果たしてそれで目出度し目出度しだろうか。

言葉も宗教もイデオロギーも違う異国で、ましてアラブ人差別の強いブッシュ政権下で。

アミールの友情と善意には感嘆しつつも、どこかすっきりしないのは、この作品に流れる、「アメリカ目線」なのかもしれない。