伊丹十三氏のエッセイだと思うが、
『日本の俳優は、貧乏人の役をやらせるとすごい。それこそ情けなるほど上手く演じる。だが、金持ちの役をやらせると全く駄目だ』

と、いう言葉があった。同感だ。

確かに、名もなき兵士や、幸薄い娼婦の役は見事に演じても、ごく贅沢に育てられた高貴な身分の役となると、どこか無理してるような痛々しさはよく感じる。

アフタースクールこのたび観た日本映画『アフタースクール』でも、一流企業の社長が重要な役で出てくるが、これがどう見ても、ボーリング場の支配人程度にしか見えないのだ。

さて、この作品、観終わった瞬間は
『うゎ、面白かった。こんな楽しい日本映画も久々だな』
などと喜んでいたのだが、時間が経つにつれ、気持ちが醒め、妙に空疎な印象しか心に残らず、『もしかして、つまらなかったのかも』と、いつのまにか、正反対の思いに変わったのだった。

もちろん良い作品だとは思う。

大泉洋、佐々木蔵之介、堺雅人と、今を時めく名優を揃え、テンポの良い脚本、凝ったディティール、そしてなんといっても、そのプロット作りの巧みさ・・・・。

だが監督はプロット作りで安心してしまったのだろうか。

肝心の人間の内面が描けていないのだ。

まずこ物語のヒロインだが、私にはさっぱり魅力的な女性には見えず、したがって、なぜ彼女のために彼らがこんな苦労をするのか分からなかアフタースクール2った。

そして3人の男たちの内面の苦悩や葛藤、そして魅力が描ききれてないため、なんともノッペラボーな印象しか残らない。これは先ほど言った一流企業の社長も同じだ。実力ある役者を揃えているのに残念だ。

そして気になったのが、中学教師をしている男が、チンピラ探偵に放った言葉。

『おまえのような人間はよくいる。何かあると学校が悪い、とすべて学校のせいにする奴。でも違うんだ。学校なんて本当はどうでもいいんだ。要は、自分から楽しくするようにしないといけないんだ(うろ覚えなので激しく違っていると思うが、ニュアンスはこんな感じ)』

ちがうでしょう先生。つか先生が学校なんてどうでもいいなんて言っちゃおしまいよ。

学校に頼らず自分で楽しみを作ろうとしている成熟した子供には、そもそも学校なんて必要ないと思われ。

そしてどれほど多くの子供たちが、期待に胸ふくらませて入った学校で、傷つき、無理解な教師のため性格をゆがめられ、あたら将来を棒に振ってしまったか(もちろんその逆もあるだろうが)

そんな訳でこの作品、以外と海外でリメイクしたら良いかも。

潤沢なハリウッド資本で豪華なサスペンスものにするか、それとも香港映画で、香港ノワールと思いきや実は・・・てなものにするか。

ああ、つくづく自分はイヤミな映画ファンだな。