青空のもと、頬に当たる風も心地よい。
今日は一日。映画の日だ。
こんな天気にふさわしい、さわやかな映画を楽しみたいなと思いつつ、結局観たのは、
若松孝二監督の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』という何とも重く暗く、辛気臭い作品だった。
だが、辛気臭くはあるが、実に面白かった。3時間10分という時間の長さなど全く感じない。
出来ればあと2時間ぐらいあっても良いくらいだ。
あさま山荘事件と言えば、1972年だ。この年の冬は、よく覚えている。
まず2月初めに行われた札幌冬季オリンピック。
ジャンプ70メートル級では、笠谷選手らの活躍で、金銀銅独占で湧き立ち、日の丸飛行隊ともてはやされた。
そしてフィギュアスケートでのジャネット・リンの尻もち。
そんなオリンピックの興奮も冷めやらぬ頃、ニュースとして飛び込んできたのが、連合赤軍のあさま山荘籠城事件と、その後明らかになった仲間同士によるリンチ殺人事件だ。
当時私も、テレビや新聞のニュースに夢中になったものだが、印象に残っているのは、
1、壮絶なリンチのあった赤軍のアジトに生後3か月の女の赤ちゃんが残されていたこと。若い父親はリンチで殺され、母親はアジトから逃亡、仲間の女性が大事に世話をしていたらしい。
尚、当時赤ちゃんの映像と実名は大々的に放映されたが、その後、改名したらしい。お元気であれば、今36歳か・・・。
2、逮捕されたある女性の言葉、『仲間が集まっての楽しいアジト暮らしを期待して来たのに、こんなことになるなんて…』
おいおい、楽しいって、部活の合宿の延長じゃないんだから。
3、永田洋子のこと。
薬科大学時代、パセドー氏病に罹って、容貌が変わり、容姿にコンプレックスを持っていた。そのため仲間内で可愛い女性を主にリンチしていたなど。
そして「ソーカツ」「ジコヒハン」という名のリンチだ。
さて、肝心の映画の方だが、
おもに、3つのパートに分かれている。
まず最初は1960年の安保闘争から、連合赤軍誕生まで、闘争の流れを、ニュース映像などを交えながらドキュメンタリータッチに描く。
正直な話、ここでは学生らの活動が少し羨ましく思えた。
たしかに暴力的で講釈ばかりの青臭い奴らではあるが、革命を純粋に信ずる気持ち、仲間と共に目的に向かっていく高揚感は、今は絶えて味わえない、たとえようもない歓びだったのだろう。
だがその陶酔も束の間、物語は1971年の終り頃、山岳ベースでの共同生活に移る。
その頃、仲間の脱走が続発し、裏切りやタレこみを恐れた幹部は、疑心暗鬼に陥り、より厳しく仲間を締め付ける。
そこでの凄まじい総括(リンチ)。仲間のほんの些細なミスに付け込み、自己批判をさせ、やがて総括していく・・・。
映画では永田洋子がリーダー格の森恒夫に讒言を弄して、目立つ女性らをリンチに追い込んでいく様子が描かれている。真実はどうか知らない。
映画の中の永田洋子は、思っていたより魅力的だ。
冷酷な女性だが、時折見せる表情には可愛らしさも感じる。
彼女は幹部の坂口弘や森恒夫とも肉体関係がある。美人の女性に嫉妬してリンチ、なんて分かりやすいヒステリックな行動、するだろうか。
そして、仲間のみんなも、やられっぱなしじゃなしに、たかが女1人なのだから、団結して永田の暴走を止められなかったのだろうか。不思議だ。
それほど1人1人が疑い深くなっていたのか。
とにかくも陰惨で、壮絶なシーンばかりだ。
そしてラストのあさま山荘籠城。
ここで一転、再び彼らは革命戦士となる。
まるで悪夢から覚めたかのように、生き生きと行動し、山荘の管理人の女性にも紳士的に応対し、仲間5人、力を合わせ、警察らと立ち向かう。
だがそれはあだ花だった。そして学生運動の終焉でもある。
さて、団塊世代より一つ下の世代の人たちの事を、よくシラケ世代、三無主義と言うが、あんな無様で、醜い終焉を大々的に見せつけられたら、無気力になるのは当たり前だ。
やがて若者は、怒ることを忘れ、社会にもの言うことを止め、日々楽しく過ごす術だけを身につけた。
安保条約がある限り、政治にしろ外交にしろ、常にアメリカのご意見伺いをしなければいけないのだし。
結果それが良かったのかどうかは分からない。
今、そんなあさま山荘チルドレン(勝手に命名)が日本の中枢を担っている。
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