囲碁や将棋をテーマにした映画は難しい。

そうした知識のない人たちが楽しめ、且つ素養のある観客をも満足させることは至難の業だからだ。

あえてその難しいテーマに取り組み、「囲碁の神様」と呼ばれた大天才、呉清源の激動の昭和を描いた中国映画、『呉清源〜極みの呉譜〜』のDVDを観た。監督は「青い凧」の田壮壮。

囲碁の知識のない自分でも楽しめるのだろうか、という最初の不安は、杞憂に終わった。

まず映像が美しい。

庭園の目に染み入る緑、広々とした草原、深い山々。

日本家屋やその室内の凛とした清らかさ、障子を通した柔らかな光、畳をする音、和服の女性の立ち居振る舞い、お茶をずずっと啜る音までもが美しい。

どんな小さなシーンでもそのまま切り取っておきたい、隅々まで行き届いた日本の美意識。

こんなに清らかで慎ましい日本の風景を、中国人の監督が描いたと思うと感慨深い。

だが白眉は、主人公の呉清源役、張震(チャン・チェン)の、たたずまいの静謐さだ。

碁盤を真剣に見つめる横顔、少し猫背でひたすら歩く姿、そしてお辞儀の折り目正しさ。

高原のサナトリウムや、古い日本家屋でたたずむ姿がこんなに似合う若い俳優が他にいるだろうか。

さて内容だが、呉清源が歩んだ半生が、淡々と描かれている。

そして私は、ひたすら碁に打ち込む姿を描いているのかと思っていたが違っていた。

鳥に翼があるように、彼にとって囲碁の才能は持って生まれたものだ。

呉清源にとって重要なのは、碁と真理の追求の二つである。

先走る頭脳がそうさせるのか、日中戦争が中国から帰化した日本人である彼のアイデンティティを傷つけたのか、戦中戦後の一時期、呉清源は新興宗教にはまり、碁を捨てる。

頭脳明晰な彼が、いかにも怪しげな宗教に救いを求める姿は痛々しく、その後、宗教の誤りと矛盾に苦しみ、自殺未遂まではかるのだ。

やがて立ち直り、再び碁の道を進むのだが、交通事故に遭ったのがきっかけに段々と力が衰えてくる・・・。

そして物語は静謐なまま終わりを迎える。

尚 呉清源と夫人は、小田原のご自宅で、今も元気でお暮らしだ。


呉清源 極みの棋譜