年齢は60歳近い女性。髪紅く、化粧濃く、いつも赤やピンクあるいはパステル調のど派手な服装を身にまとっている。
地声の大きな彼女の声は、トイレやロッカー室に響き渡っているが、男性と話すときは突然しなを作ったりする。
私は心ひそかに彼女を「ピンクちゃん」と呼び習わしているのだが、まともに会話をしたことがない。
ただ「お早うございます」「お疲れさま」と棒読みの挨拶をするだけ。
ピンクちゃんもこっちの心を悟っているのか、私には話しかけない。
そんなある日、私は一大決心をした。
「彼女に親しく話しかけよう!」
「取りあえず、無難に『可愛い色の服ですね』はどうだろう・・・」
なぜ心の狭い私がそう決心したのか。
それは内田樹著『子どもは判ってくれない』を読んだからだ。
興味深い本だったが、一番おもしろかったのは『たいへんに長いまえがき』だ。
他の章は、このまえがきをより発展させた感じである。
この中に「弱い敵と共存する」という言葉がある。
「強い敵」ならば共存あるいは従属するしかない。会社とか国家とか、子供であれば親とか。
でも「弱い敵」。おだてたりおべっかを使う必要のない、彼らがいてもいなくても何の支障にもならない、そんな「弱い敵」と共存して生きる。
それこそまさに「大人」ではないか。
この「弱い敵」は具体的には「不快な隣人」である。
おお、まさに、この「不快な隣人」と共存していくことができたら、世界中の紛争の69パーセントは解決するのではないか。
アジアの平和のために、ギリシャとトルコの友好のために、パレスチナに平和が来るために、まず私がピンクちゃんと仲良くしなければ。
ピンクちゃんのデスクにさりげなく近寄る。
彼女は顧客と電話で話している。内容を聞くともなく聞いていると、相手は最近トルコ旅行に言ったなどと話している。するとピンクちゃん、
『トルコ〜!まあ、お風呂に行って来たんですか〜〜」
・・・・・あいたたた、いまどきトルコ=お風呂とは・・・。しかも顧客も怒らずに笑っている。そういう人を選ぶ嗅覚は優れているのだろうな。
でも、その一言で、気が抜けた。明日またトライしよう。
そして翌日、出社したところ、彼女の姿が見つからない。
「あら。あの人の部署、上の階に変わったのよ」
同僚の女性に聞いたら、教えてくれた。
もう同じフロアで彼女に会うこともないだろう。
とうとう大人になるチャンスを逃してしまったのか・・・・。
なぜかホッとした気持ちで、私はデスクに向かった。
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