最近、司馬遼太郎の『項羽と劉邦』(上中下3巻)を読んでいる。
今、中巻の286P、「劉邦の遁走」が終わったところだが、面白くてしょうがない。

ああ、司馬遼太郎氏に限らず歴史小説の作家って、何百年も何千年も前の異国の話を、よくもぬけぬけと、あたかも今見てきたように語ることが出来るのものだ。

きっとそこにたどり着くまで、山のような資料や文献を読みあさり、自分の足で歩き回り、専門家の話に耳を傾けたのだろう。

そしてその膨大な知識を充分咀嚼し消化し、血や肉として体の隅々にまで行き渡らせた結果に違いない。

さて『項羽と劉邦』だが、とにかく登場人物のキャラが立って魅力的だ。

特に劉邦と愉快な仲間(蕭何・張良・韓信・その他)のやり取りの可愛らしさったらない。

白い帆船もし私に絵の才能があったら、腐女子向けの同人漫画で描きたいと思うほどだ。

そしてその可愛らしさのてっぺんにいるのが劉邦だ。

この男、貧しい農村の出身で、字もよく知らず、喧嘩が強いわけでもないヘタレな奴で、取り柄といえば体格が良いのと顔立ちが竜に似ているだけだ(ていうか、誰か本物の竜を見たのか?)。

だがなぜか、会う人会う人みな彼のとりことなり、まるでイエス・キリストに使える乙女のように、何やかや面倒を見たがるのだ。

ある取り巻きの一人はこう語っている。

「あっしが居なければ、劉あにいはただのでくのぼうですよ」

劉邦の魅力はその子供のような無頓着さだろう。

だから、たえず何らかの庇護が必要と見られ、自我を持たない彼は人々の庇護や世話を素直に受け入れている。それがまた人々を喜ばせ、取り巻きはどんどん増えていく。

一方、項羽の方だが、彼は劉邦と違い、名門の出で戦上手、頭も切れリーダーシップもある。

本来であれば、項羽こそ皇帝としてふさわしい人物だと思われるのだが、実際は、貧しい農村出身の劉邦が皇帝になり、項羽は戦に敗れ自害する。

まだ物語の途中、今、劉邦の漢軍は項羽軍に追われ、ひたすら遁走している。

これからどうなるのか、楚漢の地図とにらめっこしながら、彼らの行く末を見ていこう。

項羽と劉邦 (上) (新潮文庫)
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項羽と劉邦〈中〉 (新潮文庫)
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項羽と劉邦〈下〉 (新潮文庫)
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