司馬遼太郎の『項羽と劉邦』3巻を読み終えた。

毎度の事ながら、夢中になった本を読み終えた後の寂しさったらない。出来ればまだ未読だった一か月前に戻りたい気分だ。

さて、 こういった歴史物・戦国ものに限らず、男たちが大勢出てくる話でいつも感心するのは、彼らの役割分担の的確さ、迅速さだ。

例えば高層ビルが火事になったとか、客船がひっくり返った、みたいなパニックものにおいても、男らはすぐ、リーダー、サブリーダー、参謀、世話役などを決め、誰に命令された訳でもないのに、役割に忠実に行動する。

四面楚歌自分の力量と周囲のそれを即座に観察し、適材適所を見極める能力は、やはり男が優れていると思う。

これは大昔、狩猟時代の名残りなのだろうか。

獲物を見つけた時、男たちはそれぞれが協力し合い、迅速に行動せねばならなかった。ぐずぐずしていたら食べ物にありつけないどころか、自分らが食われてしまうのだから。

その点、女は弱い。
だから少女マンガなんかで、バレエの主役を得た少女のトゥシューズに、それを妬んだライバルが安全ピンを入れたなんて古典的なネタがあったりする(ん〜、ちょっと違うかな)

もちろん男にも嫉妬はあるだろうが、忸怩たる思いを秘めつつも、忠実に自分の役割を果たす彼らの姿の何と美しいことか。

さて、『項羽と劉邦』において最終的には、劉邦が天下統一を果たし、皇帝と覇王 項羽の最期なった。

だが私は戦いに敗れ自害した項羽やその寵姫、それぞれの臣下や兵士、策略家、「項羽と劉邦」に係わったすべての人の人生が、劉邦と同じか、より以上に輝いて見えた。

百戦百勝、勇敢で天才的な戦時能力を持ちながら、たった一度の負けで、31歳の生涯を終えた項羽。
人格、能力とも申し分ないのに、ひたすら劉邦の縁の下の力持ちで、行政や補給の仕事を律儀につとめた蕭何。
見事な戦略家ながら、病弱な美青年、張良。
栄耀栄華や出世を求めない、芯からの戦おたく、韓信。

また劉邦に対する屈折した敬愛を、悪口でしか表現できない同郷の部下と、そんな彼を心配する友人。

その2人はやがて劉邦のために歓んで死地に向かうのだ。

友情、名誉、自尊心、嫉妬・・・・様々なものがないまぜになった男の世界は美しい。

とても素晴らしい作品だが、一つ司馬遼太郎センセに注文をつけるなら、項羽と劉邦が初めて出会うシーンを創ってほしかったな。

例えば町でチンピラに絡まれている子供の項羽を、当時任侠の徒であった劉邦が助けてやるとか。
ああ、やっぱ安っぽいか。

でもこんなセンチメンタルな気持ち、当分おさまりそうにない。

さらば、わが愛 覇王別姫
さらば、わが愛 覇王別姫