『ミツコと七人の子供たち』を読み進めて、面白い事実を知った。

なんとみつは、夫ハインリッヒ伯爵の死後まもなく、ハンガリーのさる伯爵の男性と恋に落ちたというのだ。

伯爵夫人みつは結婚を申し込むも、先方は七人の子供の責任は負いかねると、あっさり断った。

この時の彼女の心理はどうだったのだろうか。

34歳の女盛り。優しい夫が死に、異国の地で14歳を頭に、七人の子供を育てなければならない。

きっと恋愛という甘い感情よりも、とにかく自分を支えてくれる男性が必要だったのだろう。

だがそれも叶わず、みつは、厳しい母として生きていった。

そのかいがあってか、彼女の子供らはみな優秀で、七人のうち三人が博士号を取り、二人は有名な作家になった。

だが成長するにつれ、子供たちは母親に反発し、疎遠になってしまう。

まず、彼らクーデンホーフ家は、古くからハプスブルク家に属する貴族の家柄で、ハプスブルグ家には、歴代外国から嫁をもらうのが普通の、多民族世界構造があった。

子供たちも、成長後はそれぞれドイツ人、フランス人、オーストリア人、無国籍者とばらばらだ。

全体主義、民族主義、国粋主義といった考えはチリほどもないし、それがまたこの文化のモザイクのような土地で生きていくための知恵なのだ(その均衡が壊れた時、世界大戦が起き、ボスニア紛争が起きたわけだが)

だがみつは、愛国者であり国粋主義者だった。

人は対象と離れれば離れるほど、その愛国心は純粋培養される。

ブラジルに移民した日系人の家に、天皇陛下の肖像画が飾られてあったり、その子孫らが日本の唱歌を見事に歌い上げたりはよくあることだ。

みつは21歳で日本を離れて以来、一度も帰っていない。そのため彼女は日本の本を読みあさり、特に新渡戸稲造の『武士道』に心酔した。そして日本に対して、想像を膨らませてしまったのだろう。

光子の二男日露戦争で日本が勝利した時、当然みつは大喜びした。だが夫は子供たちに両方の国の名誉を重んじるように、国粋主義的な見方をしないように、さとしたという。

どんな戦いにも必ず両陣営に友人や親戚、家来がいる欧州型の貴族の考えに、「単一民族」出身のみつはなじめなかったようだ。

父の考えを受け継いだ子供たちは、しだいに母親に対して距離をおくようになり、すると彼女はまずます意固地に、古い日本の道徳観をもつようになる。

やがて長男がサーカスの娘、次男が14歳年上の女優など、母の意にそまぬ結婚で家を出ていき、弟妹たちもそれぞれみつから去っていったが、ただ一人、生涯独身で、みつのそばに仕えた娘がいた。

続く。。。。。