クーデンホーフ家の次女に、オルガという娘がいる。

才気煥発な兄弟たちの中にあって、彼女は「おばかちゃん」と言われるくらい善良で忍耐強かったという。

すぐ上の姉、エリーザベトはウィーン大学で法律と経済学の博士号をとり、最も優秀な頭脳を持っていると言われていた。

ウィーンに眠るオーストリアの首相ドルフスの秘書を務めていたが、彼がナチスに暗殺されると、パリへ亡命し、じきに病気で若死にする。

そしてすぐ下の妹イーダはウィーン大学卒業後、二十世紀カソリック文学の代表的作家となる。

この2人の優秀な娘たちは、国粋主義で古い道徳感を持つ母に、批判的で、兄たち同様、それぞれ去っていった。

優れた姉妹に挟まれたオルガは、、姉らが母を見限っていく中で、「せめて私だけでも・・」と思ったのだろうか。

彼女は一生独身で母が死ぬまで、そばで世話を続けた。

特にみつが卒中で倒れた後は、彼女の口述筆記を受け持ち、歳をとるにつれてますます頑固で意固地になる母に忠実に仕えた。

1941年、母は死んだが、オルガに自由な生活はなかった。

第二次世界大戦が終わるや、オルガはチェコ兵によって収容所に入れられ、その後難民キャンプで暮らし、ドイツで生活保護を受けながら、貧しく孤独な生涯を終えるのだ。

伯爵家の令嬢として生まれ、世事に疎かったと思われるオルガにとって戦後の暮らしは屈辱的で、辛かったに違いない。

今回『ミツコと七人の子供たち』を読んで、私が一番印象に残ったのは、「パおなじみカサブランカン・ヨーロッパ・ユニオン」を創立し、映画「カサブランカ」のモデルになったという次男のリヒャルトではなく、みつ自身でもなく、このオルガなのだ。

従順、忍耐、献身、まさに明治の婦道そのものではないか。

彼女の姿に、私は正岡子規の妹で、彼が死ぬまで看病した妹、律を思い出した。

子供たちから嫌われていた古い婦道観が、オルガによって体現されたわけだが、従順な娘の、その後の過酷な人生を知ったら、母はどう思っただろうか。

他の子供たちも、戦後はそれぞれ苦しい生活が待っていた。そして、みつは、1941年8月27日、太平洋戦争も戦後の混乱も知らずに、オルガ1人に見とられ、67歳でこの世を去った。

終わり。。