佐々木譲著、『エトロフ発緊急電』を読んだ。

内容は、1941年1月、山本五十六連合艦隊司令長長官が、ハワイ奇襲攻撃を立案するところから始まる。
超国家機密事項だ。針の先ほどの漏洩も許されない。

秘密裏に進んでいる計画だが、それに挑むアメリカの諜報機関の重要人物が、ケニー斎藤(斎藤賢一郎)、日系アメリカ人。鯨

頭脳明晰ながら日系人ということで大学進学もままならず、船員を経た後、スペイン義勇軍に参加するも挫折して帰国。プロの殺し屋になった彼にアメリカ海軍が目を付ける。

アナーキーな彼は、アメリカ海軍情報局にて訓練を受け、スパイとして日本に潜入し、やがて「真珠湾奇襲攻撃」という歴史的な情報をキャッチすることになる・・・・・・。

日本での諜報活動においては、南京大虐殺で中国人の恋人を殺されたアメリカ人牧師や、タコ部屋で強制労働をさせられた朝鮮人など、複雑な過去を持つ男たちが、斎藤を支える。

そして北の地、エトロフ島にて彼は、ロシア人との混血である美しい女性、ゆきと運命的な出会いをするのだ・・・・。

強制的に連れてこられたクリル人の青年や朝鮮人など、当時不遇な立場にあった人たちが、知らず知らずのうちに日本の重大な機密事項にかかわっていくのが興味深い。

日本の命運をになった、非常に緊張感のある物語だ。

・・・だがしかし、駄菓子菓子、話の途中で私は一人の男の行動に目が離せなくなったのだ。

その男は磯田茂平、叩き上げの憲兵隊の軍曹だ。

上官である秋庭大尉から、斎藤を追跡するよう命令された彼は、ひたすら彼を追う。

磯田は下っ端の軍曹だから、もちろん、斎藤がどこに行くのか、彼の正体は何なのか、そもそも何の目的で追跡するのか知らされていない。

いわばパシリだが、愚直で生真面目だけが取り柄の彼は、ただ必死に斎藤を追い、青森、函館、根室、そしてエトロフ島へと向かう。

しかし、アメリカ海軍で本格的なスパイの訓練を受けた斎藤と、軍曹の磯田では大人と子供の差がある。

日本軍や警察の目を出し抜き、行き先々で細工をし足跡を残さないスマートな斎藤に、振り回され右往左往し、極北の地で満身創痍、凍傷で肌はただれ、ぼろぼろになりながらも必死で追う磯田。

読めないローマ字を村の人に尋ねて嘲笑され、慣れない馬やスキーにモタモタしてまた笑われ、やっとエトロフ島についたら、今度は封鎖されて現地に入れなかったりと、やることなすこと不運続きだ。

それでもめげない、まるで忠犬ハチ公のような彼だが、たった一度、人間らしい感情を吐露する場面がある。

磯田はそばの椅子に腰をおろして思った。根室まで行けば、カニが食べられるだろうか。略。
料亭にも鮓屋にも縁のない磯田にとって、これは千載一隅のカニを食べる機会かもしれなかった。磯田はこの追跡行のあとの褒美として、自分のためにカニ料理を奮発しようと決めた。

その瞬間!私は日本を左右する国家機密事項よりも、緊張感あふれるスパイの諜報戦よりも、「磯田は果たして無事に、カニを食べることができるのか?!」というので頭が一杯になった(わたしゃバカか)。

やがて物語はクライマックス、日本、アメリカ、エトロフ、それぞれにちりばめられた伏線が見事に完結。

スリリングな展開、臨場感あふれる自然描写、そして人の心、大変読みごたえのある、素晴らしい作品だった。

でも心残りがただ一つ。

相好を崩してカニをほお張る磯田軍曹が見たかった・・・・。

エトロフ発緊急電 (新潮文庫)
エトロフ発緊急電 (新潮文庫)
クチコミを見る