曽野綾子著『貧困の光景』を読んだ。

長らく日本財団の会長を務めていた氏は、アフリカを始め世界中の最貧困地区を訪れ、その凄まじい貧しさをつぶさに見、体験した事をこの本に綴っている。

その生々しい体験談には衝撃を受けたし、過酷な状況の中、現地で働く神父やシスターの崇高な姿には素直に感動したが、気になったのは、著者がやたらと日本を引き合いに出すことだ。

言わく、貧困国に比べて、「日本は何も知らない」「甘えている」「恵まれすぎている」「日本は格差社会と言われてるようだが、彼らに比べたら天国だ・・・」「文句を言う人は、干ばつのアフリカで生活してみたら〜」など、いちいち、うざくてたまらない。

日本が戦後貧しかったころ、聖心女子大に入学し、夫婦とも作家のあなたに言われたくないわ。

曽野綾子さん、きっと真摯で真面目な人なんだろうけど、融通が利かないというか頑固というか・・・・・。

お嬢様育ちの人って時としてすごいエネルギーを発揮することがあるけど、(澤田美喜とかオノ・ヨーコとか)思い込みが激しいのは困りもの。

確かに今日食べるものがない最貧国の人たちの生活は過酷だ。でも私は、それが不幸とは思えないのだ。

生まれたときからそんな暮しだったら、そう言うものとして自然に受け入れているのではないか。

食べ物にありつき、家族が一日無事生き延びることが彼らの唯一、そして最大の人生の目的であり喜びなのだ。

子供はすぐに死んでしまうもの。だからたくさん産んで一人か二人生き延びれば良しとしよう。

HIVに感染した子には食べ物はやらない。可哀そうだがその分を元気な子にあげたほうが、生き延びてくれる確率が高くなるから。

達観しているというか、シンプルでクールな人生観は、我々文明人とか呼ばれる人種にはない、彼らだけの特権だ。

この本の中に出てくるが、ピグニー族の話、好きだ。

教会のシスターたちの尽力で、森に小屋を建て学校を作り、ピグニーの子供たちを通わせているのだが、著者はつぶやく。

(ピグニーの)森は蛍の光に溢れているという。人が歩く時は蛍の光の波をかき分けて行くのだという。そういう土地の空気の清浄さは、私の経験ではアフリカの田舎にしかない。それはいつも言うように、一度も人の肺臓にも車のエンジンにも入ったことがないことを如実に物語っている、清らかで強烈な生気に溢れた空気なのだ。

そんな環境で育った子供たちが、どうして町に下りて来て、難しい算数を習いながら臭い部屋で寝起きをしなければならないのだ。〜
水道が出るとか、テレビが見られるとか言うが、そんなものは一切なしで生きて来て、何も困らないことを、既に彼らは子供ながら体験済みなのだ。彼らの世界は、何がなくてもみごとに完結していたのだ。

ここの所、賛成だなぁ。なにが幸せなのか、それは分からない。中途半端な情報や知識が、ピグニーの彼らを逆に不幸にするかもしれないし。

それにしても曽野さん、嘘のつけないひとだなぁ。またこの本の中で、思いっきり、寄付のお金は大半が地位のある役人警察らが使い込み、必要な人たちにはほとんど届かないって、そんなこと書いたら寄付する人が減るだろうに。

愛憎相半ばするが、曽野さんは信頼できる人には違いない。

貧困の光景 (新潮文庫)
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