明けましておめでとうございます。


本年も宜しくお願い申し上げます。

 

長らくブログの更新をしなかったのは、多忙のせいでもなく体調が悪いとかいうのでもなく、単なる怠慢なのだが、アップをしなかったことで分かってきたものもある。

せっせとブログを書いていた頃は、さまざまな事件や出来事について、これはアリか、好きか嫌いか、納得したかしないか、まず自分の意見ありきで、意見が決まったら、間違っていようといまいと、ひたすらそれに合わせて文章を構築していた。

何よりそれが一番早いから。

だがブログを書かない日が続くと、ニュースを聞いても、「いいんじゃないかな」「ちょっとおかしいかも」「でもそれもありかな」・・・・・。

なんだか優柔不断というか、あいまいのまま流してしまってるのだ。

そしてあいまいであるということは、自分の意見がないということと同じなのだ。

途中で自分の間違いに気づけば、そのつど修正すればいいのであって、まず自分の意見を持たなければ、何も始まらないのだと今更ながら気づいた平成22年の終わりでした。

さて、元日からわけわからん話は置いといて、昨年読んだ本で印象に残ったものの一つに、福岡伸一著、『生物と無生物のあいだ』がある。

言わずと知れた大ベストセラーだが、読んでみて思いかけず詩的で繊細な文章に驚き、著者の教養の深さと誠実さに感じ入った。

ただ記述の中で、ワトソンとクリック、そしてウイルキンズという3人の科学者について(彼らはDNA2重ラセン構造の解明で、ノーベル賞を受賞している)、彼らが女性科学者、ロザリンドのデータを盗用したと、かなり批判しているのが引っかかった。

この女性科学者は、優秀だが視野が狭いというか、頑固な人のようで、自分の研究がDNA二重ラセン構造の解明に繋がるとは思いもせず、ひたすら与えられたテーマに没頭していたのだ。

福岡氏は、ロザリンドをとても気の毒に描いているが、科学者って、ある意味、ワトソンやクリックのような山師的なものも必要ではないだろうか。(著者は演繹法と表現しているが)

きっと福岡伸一氏は、善良な人なのだろう。

ところで、微粒子のふるまいについて、こんな記述を見つけた。

平均から離れて、このような例外的なふるまいをする粒子の頻度は、平方根の法則とよばれているものにしたがう。つまり、百個の微粒子があれば、そのうちおよそルート100、すなわち10個程度の粒子は、平均から外れたふるまいをしていることが見出される。これは純粋に統計学から導かれることである。

生命体にくらべてなぜ原子は小さいのか。その理由がこれなのだが、この法則は、あらゆるものに当てはまると思う。

例えば、大きな国が崩壊して小さい国々に分裂した途端、民族紛争や地域的な紛争が頻繁に起こるのも、その法則に従ってのことなのだろうか。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
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