ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

Category: その他海外文学

ジョン・ウー監督の映画、『レッドクリフPart1』を観てきた。

実はこの作品に対して、あまり期待していなかったのだ。

胡軍まず、今回はPart1であり、肝心の「赤壁の戦い」は次回だということ。

まぁ知ってるだけ良かった。
そういえば昔「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の続編を観にいった時、第3作があるとは知らず、ラストの、「To be concluded〜
に目がテンになった思い出があるなぁ・・・。

また呉軍の司令官、周瑜役のトニー・レオン、劉備玄徳の軍師、諸葛亮役の金城武らの声が吹き替えなのも気になった。

ネイティブの中国普通語(北京語)じゃない俳優(トニーは広東語、金城君は台湾語?日本語?)は吹き替えが中国では常識だが、やはり2人の声は好きだし、聞きたかった。
トニー、『「ラスト、コーション』」では普通語でしゃべっていたが、『レッドクリフ』においては、台詞を訓練する余裕がなかったんだろうな。

そしてその周瑜と諸葛亮が、この作品においては仲がよく、固い友情を結んでいるというのも違和感があった。

吉川英治版「三国志」において周瑜は、諸葛亮の才能を恐れ嫉妬し将来我が国の脅威になるのではと、何度も殺害を試みるが失敗し、最後は『ああ無念、天すでに、この周瑜を地上に生ませ給いながら、何故また、孔明を地に生じ給えるや!」と嘆きつつ36歳の若さで悶絶死してしまうのだから。

そんなわけで、今回はあまり考えずに、娯楽大作として気軽に楽しもうと思っていたのだが・・・・。

それが実は、大変面白かったんですよね!もう堪能しました。

古い言い方だが、血沸き肉踊る大活劇っていうんですかぁ〜。

さすが男が惚れる男のアクション映画を作らせたらナンバーワンのジョン・ウー監督。

超雲まず、劉備玄徳の赤子をひしと抱きしめ、おびただしい曹操軍をなぎ倒しながら劉備の元へ向かう趙雲の勇姿で、もうつかみはOK!

この趙雲役の胡軍(フー・ジュン)の何とカッコいいこと。
以前から好きな俳優だったが、こんな「漢」の似合う男だったとは。

この趙雲の活躍だけでも、十分観る価値があり。

蛇足だが、漢たちに助けられた劉備の赤子が、長じては愚鈍な男に育ち、やがて、父が苦労して築きあげた蜀の国を滅ぼしてしまうのだから諸行無常だ・・・・・。

またストーリーやアクションが、緩急取り混ぜてテンポ良く進むため、吹き替えの件もあまり気にならない。岩代太郎の音楽も心地よい。

八掛の陣など、小説では分からなかったものも見られて良かった。

そして、張震(チャン・チェン)演じる呉の君主孫権、これがまた良い味出していた。

孫権と諸葛亮名将だった父や長兄が次々に早死にし、わずか19歳で君主となったが、まだ自分に自信がなく、当然重臣たちからも舐められている。

そこへ破竹の勢いで北の曹操軍が80万の兵を連れてやってくる。

降伏か開戦か。
我が身大事の老重臣たちは、しきりに降伏をすすめている。

そこへ諸葛亮より劉備軍と同盟を組まないかとの打診。
だが2軍を足しても兵は5万。

民を背負っている君主の苦悩は深い。
そう思うと、ナンバー2の周瑜
や軍師の諸葛亮など気楽な身分に思えてくる。

孫権さまこの苦しみつつ決断をする孫権の姿が秀逸で、また絵的にも美しくセクシーだ。

そして最後の方、周瑜と諸葛亮は会話の中で、将来、敵と味方に分かれるであろうことをほのめかして終わる。

そう、今日の友は明日の敵。

歴史大作の良いところは、登場人物それぞれの人生を俯瞰して見ることが出来る事だ。

今は蜜月でも、その後過酷な運命が待っていることが分かっているだけに、この瞬間の彼らが本当にいとおしい。

この『レッドクリフPart1』、多少突っ込みどころはあるけれど(周瑜と嫁さんのラブシーン、必要ないのでは、それとも箸休め?)大満足した。

ああ早くPart2が観たい。

レッドクリフ Part1 オリジナル・サウンドトラック
レッドクリフ Part1 オリジナル・サウンドトラック

 

 

今年の4月ごろから読み始めていた、吉川英治版  『三国志』八巻をすべて読み終え、今ちょっとした虚脱状態である。

特に夢中になっていたわけではないし、正直後半以降はかなりダレていたのだが,
毎晩、いっしょに日本酒をあおりつつ、天下国家を語り、政治談議を交わしていたオヤジたちが、いつの間にか一人減り二人減りして、最後たった一人残されたような寂しさだ。

さて、第七巻のあとがきで、「三国志のような小説は、教養のない民間人の読むものであり、正統な学問をした知識人が読むべきものではない、うんぬんと描いてあったがまさにその通りだと思う。

子龍特に諸葛孔明が出てくる前は、どいつもこいつもバカばっかり。

君主は部下の讒言にコロッとだまされるし、将軍は女にコロッとだまされるし、また部下は敵味方の将を比べ、敵の方に利ありと思えば、平気で寝返るし、とにかくコロコロ首が飛ぶ(殺しすぎだって)

皇帝は泣いてばかりいるし、劉備玄徳は優柔不断だし、張飛は筋肉バカだし。

しかも彼ら、日頃は戦に精を出し、弓、槍の稽古にはげみ、また権謀術数おさおさ怠りなく、兵法を学び兵書を読み、ゆっくり休む間もないほど忙しいはずなのに、なぜかその第一夫人、第二夫人、お妾さんとの間に子供がわらわら生まれてくるのも摩訶不思議である。

後半、主な登場人物が一人二人と死んでいき、彼らの2世が登場するのだが、やはりいずこの時代も2代目というものは、初代に比べて覇気がなく個性がなく、魅力に欠ける。

やはり初代の奴ら、『桃園の誓い』を愚直にも守り続ける三馬鹿大将もとい玄徳、関羽、張飛、また彼らとかかわり合った敵味方の将軍。

彼らが死に物狂いで戦った後、平和が訪れたのかというと、そうでもない。戦いはその後も続いた。そしてある意味今も。

でも未来を信じ、汗を流し、血を流し、知恵を絞り戦い抜いたオヤジたちの世界は思ったより心地よいものであった。

三国志〈4〉 (吉川英治歴史時代文庫)

 

 

 

 

 

 

 

「三国志」の中でも有名な「赤壁の戦い」をテーマにした中国映画『レッド・クリフ』の情報を知り、このさい予習も兼ねて、昔いい加減に読んでいた「三国志」を読み直している。ちなみに吉川英治版だ。

今六巻目だが、ちょっと気力がダレてきた。

何故ならお気に入りの武将、呉の周瑜が病死してしまったからだ。

周瑜は呉の孫策、孫権に使えた名武将で、眉目秀麗、歌舞音曲にも精通した風流人でもある。

魏の曹操との会戦「赤壁の戦い」では呉軍を勝利に導いたのだが、その後、劉備の軍師、諸葛孔明に自分の企てのことごとくを見破られ、翻弄され続け、最後は血を吐いて死んでしまう。

彼の死はまるで企業戦士の、ストレスによる過労死のようだ。

社長である孫権はまだ若く、思慮が足りず、第一マザコンだ。

同じ職場の仲間、魯粛は温厚で人はいいのだが、情が深すぎて詰めが甘い。

諸葛孔明と何度も交渉をするのだが、その度、相手の言いなりになりコロッと騙される。

まったく使えないオヤジなのだが、人徳のせいか何度失敗しても処罰を受けることも、殺されることなく、ましてやストレス死することもなく、順調に出世していくのだから皮肉なものだ。

そんな中、孤軍奮闘し、わずか36歳の若さで死んでしまう周瑜が不憫だ。

考えてみれば彼は、曹操や劉備といった、煮ても焼いても食えないオヤジを相手に必死に突っ張り、挫折した若手エリートというべきか。

さて、映画『レッド・クリフ』だが、その周瑜が主役だ。

「赤壁の戦い」という彼の人生一番輝いていた頃が舞台だが、その後まもなく病死するのだと思うと切ない。

予告編を観ると彼と諸葛孔明が仲良く語らっていたり、琴の競演をしているシーンがあるので、吉川版三国志とはまた違う、二人の友情が見られるかも知れない。

それにしてもこの邦題・・・『レッド・クリフ』・・・。

「レッド・スコーピオン」や「クリフ・ハンガー」みたいで、まるで大味のアクション映画みたいだ。

原題通り『赤壁』にすれば、普段映画に行かない、三国志好きの中高齢者も劇場に足を運ぶかもしれないのに。
そんなに中国の匂いを消したいのか。

大体、上映日だって、中国や香港、台湾、韓国は7月10日なのに、日本だけなぜか11月だ。

ハーフの金城くん

中国映画ファンの苦悩は続く。

 

 

 

 

中国の女流作家、張愛玲(アイリーン・チャン)の短編集、『ラスト、コーション 色・戒』を読んだ。

近年台湾や香港で、若い女性を中心に人気のある作家だが、映画の公開をきっかけに、日本で短編集が初めて翻訳されたのは喜ばしい。

戦中戦後、激動の時代に生きた女たちの姿が、乾いた文体で、四つの短編に収められている。

まず表題の『色・戒』だが、あっけないほど短い。

こんな短い短編(頭痛が痛い)を、よくぞ2時間半の大作映画に仕上げたものだ。アン・リー監督の手腕、恐るべし。

数々のエピソードをつけ加え、さらに登場人物のバックグラウンドを深く掘り下げながらも、ほぼ原作に忠実になっているのだから。

合々傘だが映画と原作で違うのは、『なぜ佳芝(チアチー)は最後になって易(イー)に「早く行って」と言ったのか』だ。

映画では、過激なベッドシーンでも分かるように愛欲だけの関係だったイーの、人間的な愛情に触れハッとし、スパイではない素の自分に戻ったのだと勝手に思っている。

一方原作では、そもそも2人の性愛シーンはなく、2回関係をもったらしいが、びくびくし通しで、何も感じる余裕はなかったと述べている。

確かにそうだ。
大体、おぼこの女子大生が、数回経験を持っただけで、性愛に目覚めてしまうなんてあり得ないことで、このあたり、やはり男性監督の都合の良い解釈かなぁ。

さて、原作においてチアチーは孤独な存在だった。

練習のための味気ないセックスで処女を失った彼女を、同級生の仲間らは好奇な目で見、彼らとの関係はギスギスしたものになっていた。ひそかに憧れていたクァンさえそうだった。

そして潜入先のイー氏の邸宅でも、商人の妻ということで、イー夫人やその他の官僚夫人からも、見下されていた。

日がな一日、麻雀に明け暮れる夫人たちなので、いやが上でも指元が目立つ。

マージャン卓の上はダイヤの指輪の展覧会のようだ。そしてチアチーだけがその指をダイヤで飾っていない。

それも、馬鹿にされる理由の一つなのだろう。

そんな彼女を見て不憫に思ったのかもしれない。イーはチアチーと宝石店に行き、ダイヤの指輪を選ばせる。

選んだあと、ホッとしたのか微笑むイーの表情。その慈しみの笑顔に彼女は愕然とする。
暗殺計画が成功したら、それこそ私を理解してくれる人は誰もいなくなるのだと・・・。

何とも薄幸というか、数奇な運命を背負った女だ。

さて、数奇な運命と言えば、作者の張愛玲も主人公に負けていない。

彼女は1920年、名門の家庭に生まれた。なんと曾祖父は日清講和条約(下関条約)で全権大使を務めた李 鴻章である。

だが家庭は冷たく、両親は早くに離婚、継母とはウマが合わなかったらしく、寄宿舎生活をしていた。
17歳のころ、ひそかに実母と会っていたのを知った継母が激怒し、彼女を半年間監禁するという事件もあった。

その後香港大学に進んだが、戦争のため上海に帰り、作家生活を始める。

まもなく人気作家となるが、その絶頂期になんと汪兆銘傀儡政権の高官だった胡蘭成と知り合い1944年結婚。
だが夫の女性関係が原因でやがて離婚。
その後、元夫は売国奴とされ、日本へ亡命した。

張愛玲はその後も作品を書き続けたが、やがてアメリカに移住。翌年1956年には29歳年上のアメリカ人作家と再婚している。

そして1995年、アメリカ、LAのマンションでひっそりと75年の生涯を終えた。

ちなみに彼女の作品は中国本土では80年代まで禁書扱いされていた。

彼女にとって『色・戒』は実体験に裏付けされた、思い入れのある作品だったのだろう。

ところで、指輪のことを中国語で「戒指」と言うらしい。

う〜ん、この張愛玲さん、奥が深いわ。


 

 

 

 


 

今や海外旅行は日常的になってきたガーデンが、昔は夢と憧れをもって、外国の紀行文を読んだものだ。

特に女性が書いたもの、犬養道子さんや塩野七生さん、たまに桐島洋子さんのようなヤンチャもいるが、ほとんどが良家のお嬢様が多い。

そんな少女時代の憬れも手伝って、須賀敦子さんの『ヴェネツィアの宿』に手を出したのだが、予想と違って読後感は、もの寂しく、でも不思議な清涼感があった。

須賀敦子さんは長年イタリア語の翻訳で活躍し、平成3年、61歳の時『ミラノ 霧の風景』で作家デビューし、いきなり女流文学賞と講談社エッセイ賞をとる。

昭和4年生まれ。芦屋のハイカラな家庭の少女は、多感な思春期を軍国主義の下で過ごす。
その後、修道会の学校に入り、厳しい寄宿舎生活をおくった後、大学院を中退して、その後パリ大学、そしてイタリアの学校で学ぶ。

彼女自身は敬虔なカトリック教徒だが、この『ヴェネツィアの宿』に漂う静けさは、まるで仏教の無常観のようだ。

留学先では、何人かアジアの女子留学生が、西欧の文化と言葉に馴染めず神経を病んでいる。

そして、自分がこれからどう生きていけば良いのか分らず、必死に模索し、宗教や哲学書を読み漁っている学生たち。

みな驚くほどストイックで純粋だ。もちろんその中に須賀敦子さんもいる。

だが彼女は学問だけに没頭していたわけではない。

物語の中で唐突に、彼女の父親と愛人の話が出てくる。

家出して愛人と一緒にいる父親を、見つけ出すという生々しい場面もある。

なぜこんなプライベートな話を、いかにも学究の徒である彼女が描いたのか不思議だったが、それが最後の、父親の死の場面で生きてくるのだ。

きっと憎しみながらも愛していたのだろう。娘とはそういうものだ。

父親だけではない。この物語には別れと死が付きまとっている。

戦時中の親戚の子供やおじさん。友達、研究仲間、そしてイタリア人の夫も、結婚4年目で、風のように消えていく。

死んでいくもの、去っていくものを見つめる、須賀さんの眼差しは静謐だ。

やがて彼女も、7年間の執筆活動のあと、静かに消えていった。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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