ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

Category: 中華映画

昨日、何年かぶりかで、フジテレビ『SMAP×SMAP』を見た。

トニー・レオンと金城武君が「ビストロスマップ」のゲストで登場すると聞き、これはぜひ見らねば、と思ったのだ。

今回は録画だし、ゲストも2人だし、トニー・レオンと木村拓也は、以前映画『2046』で共演した既知の間柄。

生放送でしかもトニー1人だった先週の『スマ・ステーション』よりは安心していたのが甘かった。いざ登場したトニーさんの服装・・・・・。

黄緑色のよれっとしたパーカーと着古した感のカーゴパンツ・・・・。

まるでパチンコ帰りのおっさんが、スタジオに紛れ込んだような。。

金城君はノーネクタイに黒のジャケットで決めているのに。

いや彼らしくていいのだけれど、一応『SMAP×SMAP』は高視聴率を誇る、日本を代表するバラエティ番組。あまりにもゆるすぎる。

着替えはそれしか持ってこなかったのだろうか。
中居君も「トニーさん、質素な格好ですねぇ」って言ってたし。

実は、パーカーと呼ばれるフード付スウェットシャツについて、思うところがあるのだ・・・。

To be continued〜〜トニービストロスマップ

 

 

 

 

 

昨日、何年かぶりかで、テレビ朝日『スマステーション」を見た。 

香港の俳優、トニー・レオンが出演すると聞き、これはぜひ見らねばと思ったのだ。

タローちゃんといっしょ彼のテレビ出演、それも生放送ということで楽しみよりも、心配が先に立つ。

トニー・レオンという俳優、アジアの大スターでありながら、そのたたずまいはなぜか脱力系で低調、へたれ感が漂う(哀愁ともいうが)

自己アピールが下手で、およそエネルギッシュさを持ち合わせない彼が、日本の代表的アイドル「SMAP」の番組、しかも生放送に出て大丈夫なのだろうか。

トークは大丈夫か、ちゃんと香取クンとからめるだろうか、香港映画を見ない人から「何コイツ」と、どん引きされないだろうか。

赤壁それより何より服装は?いつものように普段着テイストの格好だったらどうしよう、寝ぐせは大丈夫か(まあ、これはいくらなんでも周りの人が注意するだろうけど)

あれやこれや心配するうちに番組が始まる。

う〜んトニーさん、笑顔が可愛いけど、やっぱり香取クンとの会話がいまいち噛み合わないし、ぎこちない。時々微妙な「間」も出来てしまう。

番組最後の方、やっとトニーが、ハリウッドの、香港俳優に対する扱いについて自分の意見を述べようとしたところでCMが入ってしまうし。

不完全燃焼のまま、番組は終わってしまったが、取りあえずホッとする私は、親戚のおばさんか。

ところで、そんなトニーが出演する映画『レッド・クリフ』がもうすぐ公開されるが、今回はあくまでPart気任△襦
メインの有名な「赤壁の戦い」のシーンはPart供文開日未定)なのでお間違えなく。

レッドクリフ (トニー・レオン、金城武 主演)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気温35度の真夏日。

寄りによってこんな日に、再上映館で、中国映画、『王妃の紋章』と『ラスト、コーション』という、なんとも濃い作品を2本も観てきてしまった。暑苦しいことおびただしい。

『ラスト、コーション』は前に何度か観たが『王妃の紋章』は初めて。

色々なユーザーレビューから想像するに、きんきらきんに派手に贅をつくし中国得意の人海戦術でやたら人がわらわら出てくる無駄に金のかかった作品だろうと思っていたらまさにその通りだった。

特に大軍の戦闘シーン。あのびっしり画面を埋め尽くした兵士たちはCG処理なのか、人件費が低い利を生かしたエキストラなのか謎だ。

それと気になるのが女性の胸。王妃から側女までやたら胸を寄せて上げている。これは監督の趣味か?

yoseteageteまぁここまで予想通りだと、いっそ清々しいというもので、この絢爛豪華な昼ドラを楽しんだ。

そうこれは、やたら金のかかった、家庭内紛争の話なのだ。

王妃である継母と息子の不倫、王の過去と女、息子たちの確執・・・。

重陽の節句に王家の家族が集まるという設定も、お盆に久しぶりに家族が集まりやがて、争いが始まるのに似ている。

しかし夫婦喧嘩、兄弟喧嘩の巻き添えで、多くの兵士や部下が死んでいくのは何とも気の毒である。

それにしても名監督チャン・イーモウは、なぜこんな作品を作ったのか。

どんなに見かけは美しく絢爛豪華でも、中身は腐っている王家を描くことで彼は何を訴えたかったのだろう。

ところでチャン・イーモウは、このたびの北京オリンピックでの開会式、閉会式の監督でもある。

むう、確かにこの映画でも、最後の戦闘シーンなどまるでマスゲームのようだったし、中国の底力を感じるなぁ。

故宮ならぬ鳥の巣スタジアムでは、どんな絵巻物が繰り広げられるのか。

きんきら

 

 

 

 

 

 

 

「三国志」の中でも有名な「赤壁の戦い」をテーマにした中国映画『レッド・クリフ』の情報を知り、このさい予習も兼ねて、昔いい加減に読んでいた「三国志」を読み直している。ちなみに吉川英治版だ。

今六巻目だが、ちょっと気力がダレてきた。

何故ならお気に入りの武将、呉の周瑜が病死してしまったからだ。

周瑜は呉の孫策、孫権に使えた名武将で、眉目秀麗、歌舞音曲にも精通した風流人でもある。

魏の曹操との会戦「赤壁の戦い」では呉軍を勝利に導いたのだが、その後、劉備の軍師、諸葛孔明に自分の企てのことごとくを見破られ、翻弄され続け、最後は血を吐いて死んでしまう。

彼の死はまるで企業戦士の、ストレスによる過労死のようだ。

社長である孫権はまだ若く、思慮が足りず、第一マザコンだ。

同じ職場の仲間、魯粛は温厚で人はいいのだが、情が深すぎて詰めが甘い。

諸葛孔明と何度も交渉をするのだが、その度、相手の言いなりになりコロッと騙される。

まったく使えないオヤジなのだが、人徳のせいか何度失敗しても処罰を受けることも、殺されることなく、ましてやストレス死することもなく、順調に出世していくのだから皮肉なものだ。

そんな中、孤軍奮闘し、わずか36歳の若さで死んでしまう周瑜が不憫だ。

考えてみれば彼は、曹操や劉備といった、煮ても焼いても食えないオヤジを相手に必死に突っ張り、挫折した若手エリートというべきか。

さて、映画『レッド・クリフ』だが、その周瑜が主役だ。

「赤壁の戦い」という彼の人生一番輝いていた頃が舞台だが、その後まもなく病死するのだと思うと切ない。

予告編を観ると彼と諸葛孔明が仲良く語らっていたり、琴の競演をしているシーンがあるので、吉川版三国志とはまた違う、二人の友情が見られるかも知れない。

それにしてもこの邦題・・・『レッド・クリフ』・・・。

「レッド・スコーピオン」や「クリフ・ハンガー」みたいで、まるで大味のアクション映画みたいだ。

原題通り『赤壁』にすれば、普段映画に行かない、三国志好きの中高齢者も劇場に足を運ぶかもしれないのに。
そんなに中国の匂いを消したいのか。

大体、上映日だって、中国や香港、台湾、韓国は7月10日なのに、日本だけなぜか11月だ。

ハーフの金城くん

中国映画ファンの苦悩は続く。

 

 

 

 

囲碁や将棋をテーマにした映画は難しい。

そうした知識のない人たちが楽しめ、且つ素養のある観客をも満足させることは至難の業だからだ。

あえてその難しいテーマに取り組み、「囲碁の神様」と呼ばれた大天才、呉清源の激動の昭和を描いた中国映画、『呉清源〜極みの呉譜〜』のDVDを観た。監督は「青い凧」の田壮壮。

囲碁の知識のない自分でも楽しめるのだろうか、という最初の不安は、杞憂に終わった。

まず映像が美しい。

庭園の目に染み入る緑、広々とした草原、深い山々。

日本家屋やその室内の凛とした清らかさ、障子を通した柔らかな光、畳をする音、和服の女性の立ち居振る舞い、お茶をずずっと啜る音までもが美しい。

どんな小さなシーンでもそのまま切り取っておきたい、隅々まで行き届いた日本の美意識。

こんなに清らかで慎ましい日本の風景を、中国人の監督が描いたと思うと感慨深い。

だが白眉は、主人公の呉清源役、張震(チャン・チェン)の、たたずまいの静謐さだ。

碁盤を真剣に見つめる横顔、少し猫背でひたすら歩く姿、そしてお辞儀の折り目正しさ。

高原のサナトリウムや、古い日本家屋でたたずむ姿がこんなに似合う若い俳優が他にいるだろうか。

さて内容だが、呉清源が歩んだ半生が、淡々と描かれている。

そして私は、ひたすら碁に打ち込む姿を描いているのかと思っていたが違っていた。

鳥に翼があるように、彼にとって囲碁の才能は持って生まれたものだ。

呉清源にとって重要なのは、碁と真理の追求の二つである。

先走る頭脳がそうさせるのか、日中戦争が中国から帰化した日本人である彼のアイデンティティを傷つけたのか、戦中戦後の一時期、呉清源は新興宗教にはまり、碁を捨てる。

頭脳明晰な彼が、いかにも怪しげな宗教に救いを求める姿は痛々しく、その後、宗教の誤りと矛盾に苦しみ、自殺未遂まではかるのだ。

やがて立ち直り、再び碁の道を進むのだが、交通事故に遭ったのがきっかけに段々と力が衰えてくる・・・。

そして物語は静謐なまま終わりを迎える。

尚 呉清源と夫人は、小田原のご自宅で、今も元気でお暮らしだ。


呉清源 極みの棋譜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中国の女流作家、張愛玲(アイリーン・チャン)の短編集、『ラスト、コーション 色・戒』を読んだ。

近年台湾や香港で、若い女性を中心に人気のある作家だが、映画の公開をきっかけに、日本で短編集が初めて翻訳されたのは喜ばしい。

戦中戦後、激動の時代に生きた女たちの姿が、乾いた文体で、四つの短編に収められている。

まず表題の『色・戒』だが、あっけないほど短い。

こんな短い短編(頭痛が痛い)を、よくぞ2時間半の大作映画に仕上げたものだ。アン・リー監督の手腕、恐るべし。

数々のエピソードをつけ加え、さらに登場人物のバックグラウンドを深く掘り下げながらも、ほぼ原作に忠実になっているのだから。

合々傘だが映画と原作で違うのは、『なぜ佳芝(チアチー)は最後になって易(イー)に「早く行って」と言ったのか』だ。

映画では、過激なベッドシーンでも分かるように愛欲だけの関係だったイーの、人間的な愛情に触れハッとし、スパイではない素の自分に戻ったのだと勝手に思っている。

一方原作では、そもそも2人の性愛シーンはなく、2回関係をもったらしいが、びくびくし通しで、何も感じる余裕はなかったと述べている。

確かにそうだ。
大体、おぼこの女子大生が、数回経験を持っただけで、性愛に目覚めてしまうなんてあり得ないことで、このあたり、やはり男性監督の都合の良い解釈かなぁ。

さて、原作においてチアチーは孤独な存在だった。

練習のための味気ないセックスで処女を失った彼女を、同級生の仲間らは好奇な目で見、彼らとの関係はギスギスしたものになっていた。ひそかに憧れていたクァンさえそうだった。

そして潜入先のイー氏の邸宅でも、商人の妻ということで、イー夫人やその他の官僚夫人からも、見下されていた。

日がな一日、麻雀に明け暮れる夫人たちなので、いやが上でも指元が目立つ。

マージャン卓の上はダイヤの指輪の展覧会のようだ。そしてチアチーだけがその指をダイヤで飾っていない。

それも、馬鹿にされる理由の一つなのだろう。

そんな彼女を見て不憫に思ったのかもしれない。イーはチアチーと宝石店に行き、ダイヤの指輪を選ばせる。

選んだあと、ホッとしたのか微笑むイーの表情。その慈しみの笑顔に彼女は愕然とする。
暗殺計画が成功したら、それこそ私を理解してくれる人は誰もいなくなるのだと・・・。

何とも薄幸というか、数奇な運命を背負った女だ。

さて、数奇な運命と言えば、作者の張愛玲も主人公に負けていない。

彼女は1920年、名門の家庭に生まれた。なんと曾祖父は日清講和条約(下関条約)で全権大使を務めた李 鴻章である。

だが家庭は冷たく、両親は早くに離婚、継母とはウマが合わなかったらしく、寄宿舎生活をしていた。
17歳のころ、ひそかに実母と会っていたのを知った継母が激怒し、彼女を半年間監禁するという事件もあった。

その後香港大学に進んだが、戦争のため上海に帰り、作家生活を始める。

まもなく人気作家となるが、その絶頂期になんと汪兆銘傀儡政権の高官だった胡蘭成と知り合い1944年結婚。
だが夫の女性関係が原因でやがて離婚。
その後、元夫は売国奴とされ、日本へ亡命した。

張愛玲はその後も作品を書き続けたが、やがてアメリカに移住。翌年1956年には29歳年上のアメリカ人作家と再婚している。

そして1995年、アメリカ、LAのマンションでひっそりと75年の生涯を終えた。

ちなみに彼女の作品は中国本土では80年代まで禁書扱いされていた。

彼女にとって『色・戒』は実体験に裏付けされた、思い入れのある作品だったのだろう。

ところで、指輪のことを中国語で「戒指」と言うらしい。

う〜ん、この張愛玲さん、奥が深いわ。


 

 

 

 


 

台湾映画『百年恋歌』のDVDを観ていたら、登場人物の住む台北の雑居ビルで、こんな看板を見かけた。

「一胎借款」「二胎特貸」「二胎」。。。。。

たぶんサラ金かなんかの看板だと思うのだが、「胎」という字が、妙に生々しく感じる。

中国語の教養がない私は、こんな些細な看板文字にも、反応してしまうわけで、まぁ逆にそれが楽しみでもあるが。

さて、肝心の映画『百年恋歌』(原題は『最好的時光』、字面的にはこっちの方が好きだ)は、名監督、ホウ・シャオシェン(候孝賢)の作品だが、私の目当ては主人公を演じるチャン・チェン(張震)だ。

この台湾の俳優は、眉目秀麗、端正な容貌ながら(美青年を形容する時、なぜか古文調になる)どことなくストイックで修行僧のようなたたずまいで、以前から気になっていたのだ。

物語は自由の夢オムニバス形式で、三つのストーリーがあり、まず『恋の夢』1966年。
兵役前に一度、ビリヤード場で玉突きをしただけの女の子を探して、台湾の田舎町を探し続ける青年。

なんともノスタルジックな雰囲気で、やっとの思いでめぐり会っても、お互い照れ笑いするだけでろくにしゃべろうともしない。

戒厳令下の薄暗い街、純情なカップルに、オールディズの名曲、「煙が目にしみる」「涙と雨」がとても切なく響くのだ。

自由の夢2番目は『自由の夢』1911年。辛亥革命前の話で、なんとサイレント形式。舞台は遊郭。私はこれが一番好きだ。

男は、台湾が日本の統治から自由になるのを夢に見ている、近代的理想主義の若き外交官。

女は芸妓。彼女は男から見請けされるのを願っているのだが、男は妾制度に反対しており、そのくせ彼女の義妹が見請されるのにお金が足りないと知ると、気前よくポンと大金を出したりする。

女が、妾に行く義妹に助言している内容がまた辛気臭いのだ。

「これからは早起きして向こうの舅や姑に尽くすのですよ。それから正妻さんにも礼儀正しくするように・・・・」

うわ〜、うっとうしい。そんな窮屈な生活より、遊郭でやり手ばばぁで過ごした方がよっぽど気楽じゃんと思うのだが、やはり妾であっても見請けされるのが彼女らの幸せなのだろう。

革命を夢見る男に女は言う。

「私の将来のことは考えて下さらないのですか」

優柔不断な男にとって爆弾級の言葉だ。

男は何の返事もしないまま、やがて辛亥革命を迎えるのである。

そして最後『青春の夢』2005年。

seisyunnnoyume前の2つが超まったりとした夢物語であるのに対して、これはいきなりバイクの轟音から始まり、男はカメラマン、女は歌手。

早産で生まれた女はいくつもの既往症があり癲癇持ちで、またバイセクシャルでもある。そして、そんな自分の姿をネットにさらしている。
男は彼女に興味を持ち、近づいていく。

この3番目はどうも好きになれない。

携帯、インターネット、依存症、レズ、トラウマ、なんか今更という感じの素材で、新鮮味がない。

それとも同じ時代であるが故の、近親憎悪的な不快感なのだろうか。

物語の中で歌手の女が、レズピアンの相手から、なぜ電話に出なかったの、なぜメールの返事がなかったの、となじられて、
「マナーモードにしてたの」「電源が切れてたの」と言い訳していたのには苦笑した。

今便利さと引き換えに、恋愛の形はどう変化していくのだろうか。

ホウ・シャオシエン監督 『百年恋歌』

 

 

 

 

 

 

 

『Cut』という月刊誌の4月号で、「恋愛映画ベスト30という特集をやっていた。

栄えある1位はウディ・アレンの『アニー・ホール』で、2位はゴダール監督の『勝手にしやがれ』とのこと。

実は『アニー・ホール』は観たことがない。
ウディ・アレンの映画は、2,3本観た記憶はあるのだが、ほとんど印象に残っていない。

それだけ自分は、感性が乏しいということだろう。

夜さて、私個人の恋愛映画ベストを考えてみると、どうしても1位に来てしまうのが、王家衛(ウォン・カーウァイ)監督の『ブエノスアイレス』だ。

南米アルゼンチンのブエノスアイレスで過ごす香港のゲイカップルの話が、なぜ究極の恋愛映画になるのか自分でも理解できないが、この作品によって、私はあきらかに心をかき乱され、冷静さを失った。

まずこの同性愛のカップル、ファイとウィンだが、もの凄くかっこ悪い奴らなのだ。

歳の頃は30過ぎでもう若くはない。普通の男なら職を持ち家庭を築くべき年齢なのに、今だにブラブラとまともな仕事にも就かず、お互い痴話げんかを繰り返しては、くっついたり離れたりの日々。

挙句の果てに、2人「やり直す」ために香港のま裏、南米のアルゼンチンに行くのだが、地図もろくに読めない彼らはドライブ中、道に迷い、またケンカしてしまうという体たらく。

2人の住む場末のアパートは、赤や緑のどぎつい装飾に彩られ、センスのカケラもない。

ブエノスアイレスやぼったい古着をまとった彼らの顔は、どす暗くよどんでいて、わざとそんな照明をしているのか、常に顔色が悪い。

だが、そんなダメな、どうしようもない彼らだからこそ、狂おしいほどいとおしく、抱きしめたくなるのだ。

世界中から見放されたような2人が、アパートのうす汚れた共同キッチンで抱き合ってタンゴを踊る時、その陶酔感は、彼らだからこそ享受できる悦びなのだ。

だが、そんな蜜月も束の間、2人は再び深刻な争いをする。

原因は、レスリー・チャン扮するウィンが、今の現状に満足しているのに対し、トニー・レオン扮するファイは、「いつまでもこのままではいけない」と内心あせっており、でもウィンとは離れたくない、出来れば彼を独占しブエノスアイレスのバスたいと願っているからだ。

やがて矛盾した心のせめぎ合いが彼の心をイラつかせ荒れていく。

そんな生き地獄のようなファイの前に、ひとすじの蜘蛛の糸のように現れたのが、台湾から放浪の旅に来ていた青年、チャンだ。

チャンに導かれ、ファイはやがて「生還」を果たすのである。

そしてファイに去られた後のウィン。

チャン・チェン古い毛布を抱きしめ、まるで母鳥から捨てられたヒナのように大泣きする姿には胸が詰まる。

彼は世界の片隅でこれからたった1人、どうして生きていくのだろう。

そしてラスト、

永らく映画を観てきたが、これほど胸のすく、清々しいラストシーンはない。

この一瞬のために、1時間30分が費やされたのだと思うほどだ。

なんだか支離滅裂な文章になってしまったが、「恋愛」はいつも、人の心をかき乱し、冷静さを失わせるものだから仕方ないか。

ブエノスアイレス

 

 

 

 

映画『マイ・ブルーベリー・ナイツ』金髪を観終わった後、無性に同じ王家衛(ウォン・カーウァイ)監督の『恋する惑星』を観かえしたくなった。

初めてこの映画を観た時の衝撃は忘れられない。

斬新でスタイリッシュな映像、音楽、そして独特の台詞回し。

中国返還前、活気あふれる香港の街を舞台に、前半は失恋した刑事と金髪の麻薬ディーラーの女との不思議な出会い。そして後半はその刑事の行く食べ物屋の女店員フェイとやはり失恋した警察官との恋のすれ違いを描いている。

koisuruwakusei無国籍な街で、刑事役の金城武は謎の金髪女に4か国語(広東語、日本語、英語、北京語)で話しかけ、店員フェイは気が向けばいとも簡単に海外へ旅立つ。

失恋した男たちの独り言、数字へのこだわり、ある意味村上春樹チックなこの世界で、登場人物たちは活動的で食欲も旺盛なのに(つかいつも何か食ってる)生活臭がなく、実体がない。

主演の刑事と警察官は、それぞれ223号と633号と番号で呼ばれ、他の登場人物も店員フェイ以外は名前がない。

邦題を『恋する惑星』にしたのも分かるような気がする。

まるで地球と似て否なるよその惑星の話のような浮遊感が、この街には漂っているのだ。(ちなみに原題は「重慶森林」)

恋する惑星ところで巷では、店員役のフェイ・ウォンのキュートさが話題となったが、私は、警察633号(トニー・レオン)の元カノのスチュワーデスも悪くないと思った。

特に朝出勤のシーンで、スチュワーデス姿の彼女が、動く歩道でしゃがんで、彼のいるアパートの窓に向って手を振る仕草には萌えてしまった。

我ながらつくづくオヤジだなぁ〜と恥じ入ったが、だからこそ最後のシーンでは「あ!」と驚いてしまったのだ。

個性的な女の子フェイも、結局名前を捨て、記号の世界に入って行ったのかと思うと、ちょっぴり切ない。

恋する惑星

 

 

 

 

東京では桜が満開とのことだが、九州の某地方都市は、やっと五分咲きだ。

都市温暖化の中、いやでも日本列島に春が巡ってくる。

さて、私は、このすべての植物が萌え出ずる春が苦手である。

生ぬるい風。どんよりした空気。この時期いつも体が重く陰鬱になる。

レスリー2003年4月1日、香港のマンダリンオリエンタルホテルで飛び降り自殺をした俳優、レスリー・チャン(張國榮)も、春が嫌いだったのだろうか。享年46歳。

彼の葬式の映像が、テレビやインターネットで流れたが、それは異様なものだった。

当時SARSが大流行だったため、マスクをつけた一万人以上のファンが、雨の中彼の死を悼んでいた。

去年、風邪の特効薬タミフルが問題になった時、もしやレスリーも、と思ったが、当時タミフルが香港で市販されていたかどうかは分からない。

結局重いうつ病が原因とのことだが、多くの人に愛されたレスリーの心のうちは誰も知らない。

不思議な男だった。40過ぎても肌はすべすべ、つぶらな瞳に反ったまレスリー2つ毛は長く、憂いを含んだ表情は少年のようだ。

中国四千年の秘薬でも飲んでいるのではと思うほど、彼は年齢に見放されている。

そんなレスリーの代表作と言えば、やはり『さらば、わが愛/覇王別姫』だろう。

レスリーの役柄は、娼婦の子として生まれ、京劇の養成所で育てられ、そこの虐待ともいえる猛訓練に耐え、劇団有力者の性的虐待に泣き、やがて女形のトップスターになる程蝶衣。得意の演目は『覇王別姫』

蝶衣は、幼馴染でもある京劇の相方、段小楼を愛していたが、この男、とんでもない凡庸なやつで、蝶衣の激しい愛を受け止めることが出来ず、行き場を失った愛は、蝶衣自身の心を傷つける。

蝶衣よ、もっといい男を選べよ、と歯咬みするのだが、幼い頃、唯一自分に優しくしてくれた段小楼は、鳥のヒナのように刷り込みされていたのだろうか。

やがて時代は抗日運動から、日中戦争、文革へと流れ、芝居バカで世事にうとい蝶衣は、そのたびに傷つき、血と涙を流す。

それにしても、この映画の中のレスリーの美しさは神がかっている。

一番美しいと思ったのは、日中戦争時に日本軍の宴席で歌ったという事で、戦後、蝶衣が裁判にかけられるシーンだ。

汚れた服を身にまとい、警察のリンチで殴られたのか、顔は腫れ、うつろな表情で被告人席に立っている。

「彼は日本軍から拷問を受け、仕方なく歌ったんだ、彼に罪はない」という味方の証言に蝶衣は静かに答える。

「日本軍は憎い。でも彼らは私に指一つ触れなかった」

そして

「もし青木(日本軍の上官)が生きていたら、私は東京で京劇を舞うだろう」

愚かさは美の代りを成すものである。

損得を考えない蝶衣は、どんなきらびやかな衣装をまとった姿よりも美しい。

報われない愛に耐えた蝶衣はやがて愛に殉じ、それを演じた美しき俳優は永遠に年をとらないまま、春の空に消えた。

レスリー3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

↑このページのトップヘ