ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

Category: 日本文学

昨年の12月23日、作家の葉室麟さんが亡くなった。 その訃報は、クリスマスイヴの喧騒とキタサンブラックフィーバーの陰に無くれ、殆どマスコミの話題になることはなかった。 彼は私と同じK市出身であり、市内の書店を巡ってみたが、追悼コーナーを設けている書店は一つもなく、まさしく故郷の作家は、冷たい木枯らしと一緒に消えていったのだ。 50歳を過ぎて作家活動を始めた葉室さんは、数回の直木賞候補の後、60歳で、『蜩ノ記』により、晴れて直木賞作家となる. だがその授賞式は、「石原慎太郎批判発言で」有名となった、芥川賞作家、田中慎弥さんに話題が集中し、葉室さんの陰は薄かった。 葉室さんの描く歴史小説の主人公は、派手さとは無縁で、地味で報われない、損な生き方をしているように見える。 でもその佇まいは、凛として清々しい。 それは葉室麟さん自身の姿なのだろう。

有川浩さん、という作家の存在は知っていた。
大変人気のある小説家で、ドラマ化された作品もあるが、私はまだ読んだことがなかった。

このたび『阪急電車』という小説を選んだのは、映画化されたのもあるが、何より解説を児玉清氏が書いているのに惹かれたのだ。

期待した通り、大変読みやすい。文章もウィットが効いてるし、関西弁の会話もチャーミングで、人気があるのもうなづける。

・・・・・でも、肝心の登場人物に魅力を感じないというか、感情移入が出来ない。

特に最悪なのが、美人OLの翔子。

同期入社の婚約者を、同じ会社の地味な同僚に寝取られた翔子は、恨みを晴らすため、ある行動をとる。

それは花嫁と見紛うような純白のドレスを着て、元婚約者と地味な同僚の、結婚披露宴に登場するというものだ。

このあたり、作者は翔子に対し、とても同情的だ。

だが、翔子のように美人でも人気者でも優秀でもない私は、彼女よりも婚約者を奪った地味な同僚のほうにシンパシーを感じてしまう。

どんなに弱い生命体でも、生き残るための戦略を持っている。

地味な同僚(この人、名前さえつけてもらってない)は、それを実行したに過ぎない。それも命懸けで。
油断していた翔子の方に抜かりがあったと言えよう。

それに気付かない翔子は、会社の人たちはみな自分の味方と信じているが、案外彼らは心の中で笑っているのかも。

思うに、この有川浩さんって人、ずっと陽の当たる人生を歩んできた人じゃないのかな。

弱い人、みっともない人、ダメな人に対する視線が画一的だ。

ところで、この作品の中で、好きなキャラは、伊藤さんというおばさん。

ブルジョワのおばさまたちのグループに馴染めず、彼女らの傍若無人さに思わず胃が痛くなってしまう小心者だ。

おばさんの世界でもこういったいじめられっ子体質の人っている。

この人にはどうか幸せになってほしい。

そんな訳で、せっかく児玉清さんがお勧めした有川さんだが、私には真っ直ぐすぎるかも。

阪急電車
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この数日間、伊坂幸太郎氏の著書を読み返している。
いや正確には、物語の中に出てくる仙台市の風景をながめているというべきか。(小説なのに眺めるというのも変な表現だが)

伊坂幸太郎氏の小説の舞台は、ほとんどが、彼の住んでいる仙台市である。

そんな訳で、彼の作品を読むにつれ、知らず知らずに、行ったことのない仙台市に対して、親しみを持つようになった。

ほどよい大きさの地方都市、派手さはないがセンスある街並み、木々が美しい緑あふれる街。

さわやかな北の都市に対する憧れは、いや増すばかり。

いつか当地を訪れて、伊坂ワールドを思い切り味わいたいと思いつつ叶わないままでいた。

それにしても、伊坂氏とご家族は、ご無事だろうか。

重力ピエロ (新潮文庫)
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アヒルと鴨のコインロッカー (ミステリ・フロンティア)
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羊最近、村上春樹氏の短編をよく読むようになった。

以前は私、氏の小説は苦手で、まるで翻訳小説を読んでいるようなスカスカ感、地に足が着かない雰囲気にどうしてもなじめなかったのだ。

ただ、最近知り合った職場の人が村上ファンで、楽しそうに『海辺のカフカ』や『1Q84』を語っているのに触発され、この機会に再チャレンジしてみようと思ったのだ。

まずは短編から読み始めたのだが、これが、実に・・・・・面白かったのですね〜!

長編を読んでいた時に陥った空疎感もなく、その凝縮された世界、選び抜かれた日本語、これ以上ないと思われる比喩、ああもっとこの世界に浸りたい、と思った時には終わっている物語・・・・。

先週は『東京奇憚集』を読んだ。そして今、彼が自分自身のことについて語った『走ることについて語るときに僕の語ること』を読み終えたばかり。

この調子で村上作品を好きになれば、今まで知らなかった世界が味わえるかもしれない、楽しみだ。

さて、『走ることについて〜』だが、村上氏における「走ること」への比重の大きさに驚いた。

まるで彼の生活の中心は「走ること」で、小説を書くことは、ほんの余技のような気さえしてくる。

彼は「走ること」について、好きだとか情熱を持ってとかは一切言わず、日々の練習風景や、我が肉体のコンディションや、大会の様子や、走りながら移り変わる風景や心を、ただ淡々と描いている。

それは、専業主婦が、日々の家事日記や育児日記を書いているようだ。

どちらも継続が大事で、一度サボると修復するのに大変な労力がいるなど、共通点もある。

特に、初めて42キロ走った真夏のアテネの体験記など、その苦しさ、生々しさは、初めてのお産体験記のようだ。

ただこれだけ、終始、走ることやマラソンについてリアルに描きながらも、不思議と汗臭さを感じないのが、村上春樹の世界なんだよな。

東京奇譚集 (新潮文庫)
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走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)
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このたび芥川賞を受賞した西村賢太著『苦役列車』を読んだ。

著者に関しては、中卒で逮捕歴アリとか、長年日雇労働をしていたなどが話題になっているが、ページをめくるや、たちまち夢中になってしまった。

とにかく面白いのだ。

大体「私小説」というのは、これまで辛気臭いものが多かったのだが(車谷長吉氏などは別として)、この人の筆致にはぐいぐい引き込まれる吸引力というか魅力がある。

悲惨でダメダメな日常を描きながらも、どこかユーモアがあり、カラッとしている所なぞは、町田康をリアルにした感じか。

陰鬱で猥雑な描写も、文章の湿度が低いせいか、ドロドロしておらず、清潔感さえ感じられるのだ。

著者はインタビューで、自分は恋人はおろか友人も一人もいないと語っていたが、変に人交りをしていないせいだろう、とても格調高い日本語を使っていると思う。

また選評で山田詠美嬢が述べていたように、やさぐれた描写をしながらも、「おれ」ではなく「ぼく」、「刺身」ではなく「お刺身」と表わすなど、あまりにも可愛すぎる。

この愛すべきろくでなしには、結婚とか小市民的な幸福など望まず、ぜひダメ人生をまっとうしてもらいたいものだ。

苦役列車苦役列車
著者:西村 賢太
新潮社(2011-01-26)
販売元:Amazon.co.jp
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明けましておめでとうございます。


本年も宜しくお願い申し上げます。

 

長らくブログの更新をしなかったのは、多忙のせいでもなく体調が悪いとかいうのでもなく、単なる怠慢なのだが、アップをしなかったことで分かってきたものもある。

せっせとブログを書いていた頃は、さまざまな事件や出来事について、これはアリか、好きか嫌いか、納得したかしないか、まず自分の意見ありきで、意見が決まったら、間違っていようといまいと、ひたすらそれに合わせて文章を構築していた。

何よりそれが一番早いから。

だがブログを書かない日が続くと、ニュースを聞いても、「いいんじゃないかな」「ちょっとおかしいかも」「でもそれもありかな」・・・・・。

なんだか優柔不断というか、あいまいのまま流してしまってるのだ。

そしてあいまいであるということは、自分の意見がないということと同じなのだ。

途中で自分の間違いに気づけば、そのつど修正すればいいのであって、まず自分の意見を持たなければ、何も始まらないのだと今更ながら気づいた平成22年の終わりでした。

さて、元日からわけわからん話は置いといて、昨年読んだ本で印象に残ったものの一つに、福岡伸一著、『生物と無生物のあいだ』がある。

言わずと知れた大ベストセラーだが、読んでみて思いかけず詩的で繊細な文章に驚き、著者の教養の深さと誠実さに感じ入った。

ただ記述の中で、ワトソンとクリック、そしてウイルキンズという3人の科学者について(彼らはDNA2重ラセン構造の解明で、ノーベル賞を受賞している)、彼らが女性科学者、ロザリンドのデータを盗用したと、かなり批判しているのが引っかかった。

この女性科学者は、優秀だが視野が狭いというか、頑固な人のようで、自分の研究がDNA二重ラセン構造の解明に繋がるとは思いもせず、ひたすら与えられたテーマに没頭していたのだ。

福岡氏は、ロザリンドをとても気の毒に描いているが、科学者って、ある意味、ワトソンやクリックのような山師的なものも必要ではないだろうか。(著者は演繹法と表現しているが)

きっと福岡伸一氏は、善良な人なのだろう。

ところで、微粒子のふるまいについて、こんな記述を見つけた。

平均から離れて、このような例外的なふるまいをする粒子の頻度は、平方根の法則とよばれているものにしたがう。つまり、百個の微粒子があれば、そのうちおよそルート100、すなわち10個程度の粒子は、平均から外れたふるまいをしていることが見出される。これは純粋に統計学から導かれることである。

生命体にくらべてなぜ原子は小さいのか。その理由がこれなのだが、この法則は、あらゆるものに当てはまると思う。

例えば、大きな国が崩壊して小さい国々に分裂した途端、民族紛争や地域的な紛争が頻繁に起こるのも、その法則に従ってのことなのだろうか。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
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浅田次郎の中国歴史小説、『蒼穹の昴』の続編である『中原の虹』が、待望の文庫化されたので、早速1巻と2巻を読みふけった。

魅力的な満州の馬賊の長、張作霖は国の未来を変えることが出来るのか、西太后亡き後、黄昏の清国はいかに崩壊していくのか・・・・。

続きの3巻4巻は、今月の15日に刊行されるそうで、今は身もだえしながら待っている状態である。

浅田氏のけれん味のある文章には、いつも「うーん、あざといな」と思いつつのめり込んでしまう。

そんな訳で、身を持て余している時に耳に入った、中国人初のノーベル賞のニュース。
平和賞を受賞したのは民主活動家で、現在服役中の劉暁波さん。

・・・・なんだかすっきりしない。なぜ彼を平和賞に選んだのか。

もちろん、ノーベル賞委員会側には彼を選んだ正当な理由や経緯があるのだろうが、しかし・・・・。

理由は何であれ、本国で刑に服している人間を選ぶのはいかがなものか。あんたの国は、間違っていると喧嘩を売っているようなものではないか。

中国側は当然、弾圧や対抗措置をとるだろうし、それに対してノルウェー外相の「ノーベル賞委員会は政府から独立した組織だからー」という言葉もなんだかしらじらしい。

私自身は中国政府は大嫌いだが、今回のやり方は『ノーベル平和賞』という、いわば錦の御旗で、西欧の価値観を押し付けているようで不愉快なのだ。

確かに「民主化」とは耳触りの良い言葉だ。

だが、人口500万も満たないノルウェーと14億の中国を同じ土俵で考えるのはおかしい。

オバマ大統領らはこれを機会に、劉氏の釈放を、と言っているようだが、それは僭越というものだろう。

そんな訳で、何だかイラっとしている時に、今度は日本の受賞者の発言。

ノーベル化学賞に輝いた鈴木章北海道大名誉教授(80)は8日、産経新聞の取材に応じ、「日本の科学技術力は非常にレベルが高く、今後も維持していかねばならない」と強調した。昨年11月に政府の事業仕分けで注目された蓮舫行政刷新担当相の「2位じゃだめなんでしょうか」との発言については、「科学や技術を全く知らない人の言葉だ」とばっさり切り捨てた。(産経新聞)

ノーベル賞はかくも人を傲慢にさせるものなのか。

鈴木氏の言葉は、たぶんマスコミに誘導されて言わされたのかもしれないが、何だか、勝てば官軍というか、鬼の首を取ったような感じで、とても残念だ。

思うにノーベル賞ってそんなに凄いものなのか。

ノーベル賞に縁がなくても、立派な仕事をした人は世にたくさんいる。

たとえば、アフガニスタンで長年井戸掘りをしている中村哲氏とか。

いつか中村氏にはノーベル平和賞を取ってもらいたいなぁと思ってしまう私も、やっぱり権威主義者なのか・・・。

中原の虹 (1) (講談社文庫)
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中原の虹 (2) (講談社文庫)
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曽野綾子著『貧困の光景』を読んだ。

長らく日本財団の会長を務めていた氏は、アフリカを始め世界中の最貧困地区を訪れ、その凄まじい貧しさをつぶさに見、体験した事をこの本に綴っている。

その生々しい体験談には衝撃を受けたし、過酷な状況の中、現地で働く神父やシスターの崇高な姿には素直に感動したが、気になったのは、著者がやたらと日本を引き合いに出すことだ。

言わく、貧困国に比べて、「日本は何も知らない」「甘えている」「恵まれすぎている」「日本は格差社会と言われてるようだが、彼らに比べたら天国だ・・・」「文句を言う人は、干ばつのアフリカで生活してみたら〜」など、いちいち、うざくてたまらない。

日本が戦後貧しかったころ、聖心女子大に入学し、夫婦とも作家のあなたに言われたくないわ。

曽野綾子さん、きっと真摯で真面目な人なんだろうけど、融通が利かないというか頑固というか・・・・・。

お嬢様育ちの人って時としてすごいエネルギーを発揮することがあるけど、(澤田美喜とかオノ・ヨーコとか)思い込みが激しいのは困りもの。

確かに今日食べるものがない最貧国の人たちの生活は過酷だ。でも私は、それが不幸とは思えないのだ。

生まれたときからそんな暮しだったら、そう言うものとして自然に受け入れているのではないか。

食べ物にありつき、家族が一日無事生き延びることが彼らの唯一、そして最大の人生の目的であり喜びなのだ。

子供はすぐに死んでしまうもの。だからたくさん産んで一人か二人生き延びれば良しとしよう。

HIVに感染した子には食べ物はやらない。可哀そうだがその分を元気な子にあげたほうが、生き延びてくれる確率が高くなるから。

達観しているというか、シンプルでクールな人生観は、我々文明人とか呼ばれる人種にはない、彼らだけの特権だ。

この本の中に出てくるが、ピグニー族の話、好きだ。

教会のシスターたちの尽力で、森に小屋を建て学校を作り、ピグニーの子供たちを通わせているのだが、著者はつぶやく。

(ピグニーの)森は蛍の光に溢れているという。人が歩く時は蛍の光の波をかき分けて行くのだという。そういう土地の空気の清浄さは、私の経験ではアフリカの田舎にしかない。それはいつも言うように、一度も人の肺臓にも車のエンジンにも入ったことがないことを如実に物語っている、清らかで強烈な生気に溢れた空気なのだ。

そんな環境で育った子供たちが、どうして町に下りて来て、難しい算数を習いながら臭い部屋で寝起きをしなければならないのだ。〜
水道が出るとか、テレビが見られるとか言うが、そんなものは一切なしで生きて来て、何も困らないことを、既に彼らは子供ながら体験済みなのだ。彼らの世界は、何がなくてもみごとに完結していたのだ。

ここの所、賛成だなぁ。なにが幸せなのか、それは分からない。中途半端な情報や知識が、ピグニーの彼らを逆に不幸にするかもしれないし。

それにしても曽野さん、嘘のつけないひとだなぁ。またこの本の中で、思いっきり、寄付のお金は大半が地位のある役人警察らが使い込み、必要な人たちにはほとんど届かないって、そんなこと書いたら寄付する人が減るだろうに。

愛憎相半ばするが、曽野さんは信頼できる人には違いない。

貧困の光景 (新潮文庫)
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星野博美著『転がる香港に苔は生えない』を読んだ。

これは、香港が英国の統治下から中国に返還される瞬間を身を持って体験したいがため、著者が2年間、当地で暮した日々を描いたものだ。

その頃、星野氏は30歳のカメラマン。就学ビザで香港入りし、語学学校に通いながら、猥雑な下町の、油断すればトイレの汚水が逆流するような古いアパートで暮し始める。
そして、様々な人々と出会い、笑い、泣き、美しい青年に胸がキュンとしたり、あるいは香港人の強靭な生活力に驚いたり、その複雑な社会構造に頭を抱えたり・・・。

・・・だが読んでいてなぜかテンションが上がらない。決して面白くないわけじゃないんだが。

その理由の一つに、彼女がなぜそうまでして香港に関心を持つのか分からないというのがある。

元々この本、米原万里氏が『打ちのめされるようなすごい本』の中で紹介しており、私自身、香港に大変興味があるので、これは合うかなっと思ったのだ。

まあ香港に興味があるといっても、その知識はほとんど映画からだけど。

香港映画が大好きで、王家衛(ウォン・カーウァイ)作品を始め、香港ノアールからおしゃれな恋愛もの社会派ドラマまで、多くの作品を見るうちに、当地に対してかなりミーハーになってしまったようだ。

著者が香港に渡ったのが1996年8月。返還の一年前。

その頃、映画『恋する惑星』『天使の涙』などで、香港はちょっとした人気スポットになっていた。

そこに若い独身女性カメラマンがやって来て生活する、しかも語学学校の同級生のシスターたちは、有名な重慶マンションの近くに住んでたりするのだ。

途中、著者がカフェの若いウェイターにほのかな恋心を持つ場面もあって、あ、これは何か展開が〜と思ったが、とくに発展もせず。

作品自体は、とてもよくできたドキュメンタリーで、香港人のたくましさ、したたかさ、返還前夜の不安など、リアルで描かれていたが、香港に対して日本とは違う疾走感、ワクワク感を期待していた私には何か物足りない。

きっとこの星野博美さんって真面目な人なんだなと思いつつ読み進んでいるうちに、ある場面でハッとした。

1997年7月1日、返還の日、イギリス軍が去った後、中国から人民解放軍の軍用トラックが次々とやってくる。そして乗っている兵士たちは敬礼をしたまま微動だにしない。

そんな彼らに、思わず彼女は必死で手を振る。そして心情を吐露する。

「私は人民解放軍が好きだったということを」

そうか・・・・。

よく、知的な学生の部屋に、毛沢東やチェ・ゲバラのポスターが飾られていることがあるが、彼女もそんな社会主義に憧れていたことがあるのか・・・・・。

正直な告白が私には嬉しかった。彼女が中国、香港に強い関心を持つ理由も分かった。

社会主義に関心を持っていた著者と単なる香港ミーハーだった私。

スタート地点は全然違うが、そんなさまざまな人をも飲み込む香港はこれからどこに行くのだろう。

転がる香港に苔は生えない (文春文庫)
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謝々(シエシエ)!チャイニーズ (文春文庫)
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朝焼け 本を選ぶための指針として読んだ、米原万里著『打ちのめされるようなすごい本』に、すっかり打ちのめされてしまった。

まず、速読の凄さである。
数十年にわたり、平均1日7冊を読んでいたという。
豊富な読書量に裏打ちされた幅広い教養と、ロシア語同時通訳の第一人者としての経験を持つ彼女の読書日記と書評は、とにかくすごみと迫力があり、ジャンルの広さ、咀嚼能力には、これが同じ人間かと茫然としてしまうほどで、しかも文章がシンプルで面白いのだ。

うかうかしていると、この本で紹介されている作品すべて読みたくなりそうで、著者と違い7日に1冊読むのがやっとの自分は、選択に迷ってしまう。

さて、そんなスーパーレディな米原氏だが、ご存じのように4年前、癌で亡くなっている。

そしてこの作品の中に、癌の闘病記が載せてあるのだが、何とも胸が痛くなる内容なのだ。

癌を宣告された日から、知識欲の強い彼女は当然、癌関連の著書をむさぼり読むのだが、中にはいわゆる民間療法とされるのもある。

そして、それら民間療法も果敢に試してみるのだが、真摯な彼女は、治療法や効果に疑問を感じると、黙ってはいられず、医師に問いただす。

その理路整然とした質問が、医師には気に入らないらしく
「貴女にはむかない治療法だから、もう来るな。払った費用は全額返す」「いちいちこちらの治療にいちゃもんつける患者は初めてだ。治療費全額返すから、もう来るな」と言われてしまう。
そして、その1、2ヵ月後に、彼女は55歳の若さで逝ってしまうのだ。

わらをも掴む気持ちで挑んだであろう民間療法だったが、既に病状が進行していた彼女には何の役にも立たず、ストレスだけが残った訳だ。

聡明な彼女のこと、それらの治療法のうさん臭さは重々知っていただろうが、それでも試さずには居られなかった心境を思うと、何ともやり切れなく切ない。

しかし、死の直前まで、冷静な筆致で(もちろん心のうちは凄まじい葛藤があったろうが)癌闘病記を書き続けたその精神の強さに、心から拍手をおくりたい。

打ちのめされるようなすごい本
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