ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

Category: 経済・社会

さとうさん今さらだが、『国家の罠』を読んだ。
元外務省分析官で、現在、刑事被告人である佐藤優氏のデビュー作だ。

2005年当時、この本は話題になったものだ。「国策捜査」という言葉も、その時初めて知った。

だが2002年における、マスコミの鈴木宗男バッシングにウンザリしていた私は、どうも読む気がしなかった。

当時はロシアについて興味がなかったし、九州人のせいか、北海道や北方領土についても関心は薄い。

第一、サブタイトルの「外務省のラスプーチンと呼ばれて」を見ても、’70年代に流行ったB級ディスコソング「怪僧ラスプーチン」しか思い浮かばなかったという浅学菲才ぶりだ。

そんな私が、佐藤優氏の著作を読もうと思ったのは、youtubeで、彼の動画を見てからだ。

実は、私は、太った男の人が、スーツを窮屈そうに来て、汗をかきながら仕事をしている姿に弱い。なぜだろう、デブ専では決してないのに。

それに顔も意外と可愛い。まるでテディベアがスーツ着てるみたいだ。

もし彼がスッキリスマートな男だったら、読まなかったかもしれない。本の縁とは不思議だ。

読んでみて思った。佐藤優氏も、鈴木宗男氏も頭がいいのに、なぜ男の嫉妬について、対策をとらなかったのだろう。
神代の昔から、男の嫉妬は恐ろしいと、分っていたはずなのに。

もとより2人は、金や名誉は二の次、国益のために北方領土のためにひたすら頑張ってきた。そして有能であった。

だが有能であればあるほど、疎まれるものだ。権力のあるものから嫉妬されたら、身の破滅だ。

権力も何もない私だって嫉妬心がある。

本の中でも、筆者が、小渕総理や橋本総理など歴代の総理や、ロシアのそうそうたる高官、文化人などに誉められ可愛がられている場面よりも、拘置所での日々の暮らしを描いている方のが、面白かったし。

思うに、佐藤氏は目のくりっとした縄文顔だ。こういう顔立ちの人は日本では本流になれない。

とっつぁん坊や赤城農水大臣や、ホリエモンも、似た顔立ちだ。

目の細い弥生顔の人が今の日本の主導権を握っている。そして彼らは嫉妬深い。

国策捜査に選ばれる人は、本人の思いは兎も角、栄誉あることなのかもしれない。

国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて

 

 

 

 

 

 

 

ねこ高校時代の同級生で卒業後、社会保険事務所に就職した人がいた。

元々彼は大学進学希望だったが、友人の公務員試験に付き合いでついていって合格し、そのまま公務員の道を選んだのだ。

かように当時の公務員試験はハードルが低く、たいした努力もせずに合格できたのである。

その後、私は就職先の某会社で、社会保険担当になり、時々手続きのため、社会保険事務所を訪れるようになった。

とてもノンビリとした居心地の良い場所だったと思う。

職員はみなおっとりした感じで、役所の職員によく見られる、傲慢さなどなかった。

何より羨ましかったのは、5時になったらオフィスが空っぽになることだ。

ああ、私もこんな所に就職したかったな・・・と思ったものだ。

同級生の彼も、たまに見かけた。

なんでも3人の子供を全員私立に行かせているそうで、下世話ながら、給料がよいのかなぁ、と羨ましかった。

当時、団塊の世代は働き盛り、年金を受け取る受給者は少ない。(戦争の影響で、60〜70歳台の人口は少なかった)

人口比が大きく変わることは充分わかっていたはずなのに、あのノンビリした空気に染まって、社会保険庁の人たちは思考が停止していたのだろうか。

さて、現在、同級生の彼とは音信不通だが、今も社会保険事務所で働いているのだろうか。

3人の子供達はもう育ちあがっているだろう。

どうか嘆くことなく、今の困難に立ち向かって欲しい。

今から本当の「仕事」が始まるのだ。


 

5月27日の朝、天気予報では「快晴kにも関わらず、北九州の空はどんよりと曇っていた。

いや、曇っているのではなく、これはスモッグだ。

朝霧によく見られる乳白色ではなく、薄汚れた白茶けたスモッグが街をつつんでいる。

空気は生暖かく、いささかの清涼感もない。

「そういえばこの頃、抜けるような青空って見ないよな〜」と思いつつ、駅へ向って歩くのだが、案の定、歩いている人が少ない。子供は皆無だ。

中には、サングラス、マスク、日傘といった重装備の人もいる。

「おおげさだな〜」と思いつつ、普通に歩いているうち、だんだん頭が痛くなってきた。

本日北九州地方に、今年に入って2度目の光化学スモッグ注意報が発令され、運動会を予定していた小学校85校が中止になったことを知ったのは、その日の昼だった。

重い頭をおさえつつ窓の外を見ると、街全体が白っぽく霞んでいる。普段はハッキリ見える遠くの山並みも消え、海峡もおぼろげだ。

船や飛行機の運航に支障はないのか、まず心配になってくる。

そして、全く子供のいない風景。5月最後の日曜日なのに、街も公園も静まり返っている。

まるで近未来SFホラー小説のようだ。

さて、今北九州市では、市内の工場に対して、煤煙の窒素酸化物の排出量、20%削減を要請している。要するに減産だ。

市民の健康を考えての事だろうが、不況を乗り切ろうとする企業に対して、これはあまりに酷だ。

つか、工場のない長崎の五島や壱岐でも、光化学スモッグは観測されている。

みな原因を知っていながら、誰も声に出して言わない。でもこのままでは、状況は益々ひどくなるばかりだ。

そのうち北九州だけではなく、日本全体が大陸からの黄色いスモッグにつつまれ、やがて消えてしまうのだろうか。

 

昭和54年の頃だったろうか。
ある月刊誌(名前は失念したが)に、旅行好きで世界中をまわった若い女性の記事が載っていた。

ふ

彼女によると、訪れた国で一番良かったのが、アフガニスタンだと言う。

「とにかく街並みが美しく、緑が素晴らしい。そして人々が暖かいの!」と、絶賛。
そのため、大学の卒論も『ガンダーラ文化』にしたとのこと。

『ガンダーラか。じゃあ「西遊記」の天竺ってアフガニスタンの事だったんだ。ゴダイゴが歌ってたよね、〜素晴らしいユートピア〜♪て、ふーん、いつか行ってみたいな〜』

それからしばらくして、ソ連がアフガニスタンに侵攻というニュースが飛び込んできた。

アフガニスタンどうなるんだろう、とちょっと気にかかったが、その後のモスクワオリンピックボイコットの方が自分には驚きで、
「えー、日本はオリンピックに出ないの?ショック〜」
と思っているうちに、アフガニスタンの事は忘れてしまった・・・。

・・・そして2007年、アフガニスタンの状況は当時より更に厳しい。

さて、高木徹著『大仏破壊〜ビンラディン、9・11へのプレリュード』を読んだ。

2001年3月、9・11の半年前、アフガニスタンのバーミアン大仏がタリバン政権によって破壊される。大仏は2体であった。

象徴的なこの事件の半年後の「9・11」そしてテロ戦争、タリバン政権の崩壊。

実は、この大仏破壊に関しては、多くの人々が阻止しようと奔走している。国連やユネスコ、歴史学者など、その中には日本人もいた。

そしてタリバン内部でも、大仏破壊を止めようとする人が多かったにも関わらず、いつのまにか崩壊の道を進んでいく。

それはあたかも、高木氏も表現しているが、オサマ・ビンラディンという寄生虫が、タリバン内部に棲みつき、やがて主を食い破って新たな主になったようだ。

その原因は何だろうか。

単純には言い切れないが、ただ、タリバン内部にこんな声があった。

あ「世界は、我々が大仏を壊すと言ったとたんに大騒ぎを始めている。だが、わが国が旱魃で苦しんでいたとき、彼らは何をしたか。我々を助けたか。彼らにとっては石の像のほうが人間より大切なのだ。そんな国際社会の言うことなど、聞いてはならない」

この言葉は正しくはない。

国連やNGO、様々なボランティアなどが、アフガニスタンを援助してきた。日本も多額の援助をしてきた。

だが、その心情は分る。確かに多くの国やマスコミはアフガニスタンに無関心だった。石仏が破壊されると聞いて、あわてて大騒ぎする国際社会を、彼らは苦々しい思いで見ていたのだろう。

〜どんな夢もかなうという素晴らしいユートピア〜♪

日本人女性が心から愛した国、アフガニスタン。

無関心の責任は重い。それは私も含めてだ。

大仏破壊 バーミアン遺跡はなぜ破壊されたか

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブレンダ1979年の洋楽チャートの中に、アイルランドのバンド、ブームタウン・ラッツの『アイドントライク・マンデー』(邦題、哀愁のマンディ)と言うのがある。

これは1979年の1月、アメリカのサンディエゴで起きた、16歳の少女、ブレンダ・スペンサーによる銃の乱射事件からインスパイアされたものだ。

少女は朝、ライフルを持って近所の小学校に向かい、校庭に向って乱射した。

校長と学校関係者、2人が死亡、8人の生徒が重傷を負う。

警察に捕まったときの少女の言葉がふるっている。

『理由なんてないわ。月曜日は嫌いなのよ』

ブームタウン・ラッツの曲は、全英でチャート1位になるなど大ヒットしたが、今聴いてみると、たいした楽曲ではない。話題性が先行したのだろう。

この曲を作ったのは、バンドのリーダーでありボーカルのボブ・ゲルドフ。機を見るに敏な男だ。

やがて彼は、バンド活動そっちのけでチャリティ活動に没頭し、80年代のライブエイド、そして2005年のLIVE8を大成功に収めた。

今やノーベル平和賞の候補になり、サーの称号で呼ばれる、ボブ・ゲルドフ様だが、一連のライブエイドや、それに付随するもの(ホワイトバンド活動など)に懐疑的な私は、どうもスッキリしない。

さて、銃撃犯ブレンダは、今も刑務所に入っているらしい。
なんでも4回、仮釈放を申請したらしいが、いずれも却下されているという。

奇しくも、先日バージニア工科大学で起きた銃乱射事件も、4月16日、月曜日だ。

バージニアの犯人の場合、先のブレンダのような、1種アンニュイな動機ではなく、明らかに計画的な犯行のようだ。そし自殺している。

そういえば、数年前のコロンバイン高校乱射犯の少年達や、去年のペンシルベニアのアーミッシュの学校を襲った男、いずれも自殺している。

それに比べ、やはり女はしぶといのか。

そして、サー・ボブ・ゲルドフは、今、ライブツァーならぬ、講演ツァーで大忙しとの事。

どんな事件が起きても、結局強いものが生き残るのだ。まぁ当り前か。

哀愁のマンデイ

 

 

 

 

 


 

ANA

 

 

 

 

 

 

今日は仕事が休みだったので、午前中家で、NHK番組『知るを楽しむ』の再放送、「不肖宮嶋の、白瀬中尉の南極探検シリーズ」を見ていた。

白瀬中尉が、天候不良のため、一旦南極上陸を諦め、オーストラリアでテント生活を始めたという場面で、突然テレビ画面が変わり、NHKアナウンサーが映った。

なんでも大阪発、ANAプロペラ旅客機の前輪が出ないため、今から高知空港で、緊急胴体着陸をするとの事。

そして画面は高知の空に変わり、件のプロペラ機が、雲ひとつない青空の下、白鳥のように、たよりなげに漂っている。

他のチャンネルを見たが、どこもこのニュースはやっていない。今の所、NHKだけのようだ。急に胸がドキドキしてくる。そして不快感。

思いがけずライブショーを見られる事に喜んでいる、自分に対する嫌悪感だ。

そしてそれを煽るようなNHK。なにも番組を中断して放送しなくても、とりあえずはテロップだけでいいではないか。いつからNHKはこんなに仕事が速くなったんだ。

着陸の瞬間は見たいが、もし最悪な結果を生で見てしまったら・・・・。

そうこうしている内に時間は過ぎ、不安と嫌悪と期待でまぜこぜとなった私とは正反対に、ANA機は、冷静沈着に見事なランディングを見せてくれた。

ありがとう機長。私がお礼を言う筋合いはないのだが、もし大事故になっていたら、かなり落ち込んでいたことだろう。

どんなすごい生映像でも、やはり人の命が関わっているのはダメだ。

別にこれは私が心優しい人間だからではなく、へたれなだけだ。

普段は人の悪口が生きがいのような人間なのだから。

そんなわけで、宮嶋氏のような報道カメラマンは尊敬に値するなぁ。

ところで、カットされた再放送分はどうなるんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数年前より「リバタリアニズム」とか「リバタリアン」に興味を持ち始め、関連文献を、色々読んでいた。

学者によって解釈の違いがあるし、日本ではなかなか受け入れにくい思想だと思うのだが、「自由至上主義」や「小さな政府」というのは心惹かれる。

ただ「リバタリアン」に賛同している人の多くが、いわゆるエリート、経済的にも精神的にも独立した人に多いのが気になる。

私のような貧乏人が興味を持つのは、珍しいようだ。

それとネーミング。りばたりあん・・・・。

まるで、オバタリアンみたいだし、昔のB級ホラー「パタリアン」にも似てるし、そういえば、「リバイアサン」ていう深海で怪物が出てくる駄作ムービーもあったなぁ・・・。

さて、蔵 研也氏の『リバタリアン宣言』を読んだ。

ある意味、面白かった。それこそB級映画の味わいだ。

まず、帯のあおり文句が、
『ニッポンの勝ち組エリートとアメリカのセレブ(ヒラリーも、マドンナも、ブラピも・・・)が考えていること』

おいおい、高級リゾート地のCMじゃないんだから。

中身も突っ込みどころ満載だ。つか、わざとそのように描いているのかもしれない。無難な内容より、その方が読者を惹きつけるだろう。

彼の描く「無政府社会」には到底賛同できないが、だが同時に、清々しさを感じたのも確かである。

そして私は思うのだが、社会保障と言うものは、そもそも貧しい人のためだったはずだ。

だが今の日本では、保障の必要のない裕福層にも、等しく年金制度が行き渡っている。

そして、貧乏人は、日々の暮らしに追われ、ついつい保険料を払わなかったりする。

結局、社会保障は、その必要のない裕福層の資産を増やし、貧乏人は路頭に迷うのだ。

賛同する、しないに関わらず、「リバタリアニズム」について、本当に考えないといけないのは、勝ち組エリートやセレブではなく、私のような貧乏人なのかもしれない。

リバタリアン宣言
水源―The Fountainhead

 

 

 

 

 

 

 

北九州市長選で、北橋健治氏が当選した、よかった。

選挙の前日には、その対抗馬、自公推薦の木柴田氏の応援に、なんと「つんく」と「矢口真里」と「飯田圭織」が乗り込むという珍事。

大事な市長選に、盛りを過ぎたタレントを呼ぶ、自公のセンスのなさには、怒りを通り越してめまいがしそうだった。

これで柴田氏が当選しようものなら、真剣に他県への引越しを考えていたのだが、それほど市民はおろかではなかった。

さて、やたら意味不明のハコモノばかり、たくさん作って赤字を増やし、いずれも不便な場所にあるため、車のない足腰弱ったお年よりは利用できない。

国民健康保険料は、全国平均よりかなり高く、不景気で失業して金がなくなっても生活保護はもらえない(例の北九州方式)

そんな、絵に描いたような高負担、低福祉の北九州市政が変わるよう、北橋氏にはがんばってもらいたいものだ。

さて、氏が当選した勝因に、例の柳沢大臣発言を挙げている人がいるが、それは絶対ありえない。

北橋氏は昭和61年、民社党公認で衆議院議員に初当選。20年のキャリアを持ち、北九州市での知名度は非常に高いのだ。

当時民社党は、鉄鋼労連との絆が強かったから、新日鐵関係の人脈も持っており、人柄も定評がある。

コワモテが多かった民社党の中で、北橋氏はとても穏かな雰囲気だった。

多くの市民は、「党」ではなく、「人柄」「人物」で彼を選んだのだ。そうじゃなければ消去法か。

そんなわけで、柳沢氏の発言以来、がぜん張り切りだした女たちも早く消去してほしいものだ。

 

 


 

1970年。日本人として初めて、小型ヨットでの世界一周に成功するという快挙があった。
航海の途中には最大の難関、マゼラン海峡がひかえていたが、無事に突破。

この冒険を成し遂げた白瀬クルーのメンバーは3人。男性二人と女性一人。
そして、紅一点の女性が、白瀬京子さんであった。

ニュースで、この女性のおじいさんが、日本人として初めて南極大陸に立った、白瀬中尉であると知り、子供心に、「血は争えないものだな」と思い、「白瀬」という名を心に刻んだ。

京子さんは幼い頃、晩年の白瀬中尉のそばで暮らしていたそうだが、この偉大な探検家は、幼い孫娘にどんな話をしたのだろう。

さて、先月のNHK教育テレビ『知るを楽しむ』で
不肖宮嶋 白瀬 矗先生に捧ぐ」があった。

白瀬中尉のこと、詳しくは知らなかったが、これを見て、あまりの過酷な人生に唖然とした。

11歳の頃から北極探検を志し、酒を飲まない、煙草を吸わない、茶を飲まない、湯を飲まない、火に当たらない、という五つの誓いを生涯守った。

だがその後の厳しい試練。

手始めとしての千島探検では、隊長、郡司大尉(幸田露伴の兄)の無責任な決断のため、多くの仲間が死ぬ。

そしていざ南極探検では(北極は、もう既に踏破されていたので)
国が金を出してくれないため、白瀬は金集めに駆けずり回り、やっと出発し、無事日本に帰還したのも束の間、彼には多大な借金が待っていた。その中には後援会の遊興飲食費も含まれていたのだ。現在に換算すると億単位の借金。

明治の冒険家は20年かけて借金を返済する。彼自身も言っていた。
「南極海の荒海よりも、陸に上がってからの方が辛かった」と。

だが、思う。
どんなに赤貧な暮しでも、白瀬中尉には「名誉」があった。日本人として初めて南極を踏破したんだという矜持があった。

でも彼の妻は・・・・。

中尉には7人の子がいたという。生活が苦しかったため、奥さんは、踊りなどを教えて生計を立てていたらしい。

身勝手なダンナがのぼせ上がって冒険に出かけている間、じっと耐えて家庭を守り、やっと帰ってきたと思ったら多額の借金を抱えている。

やはり明治の女は強いなぁ。それでも最期まで添い遂げたのだから。私からすると、奥さんの方がよほど冒険家に見えるのだが。


 

 

 

 

 


 

ミロ2007年の読書初めは、高木徹著『ドキュメント 戦争広告代理店』だったが、読後感はいまいちスッキリしなかった。

ボスニア紛争の渦中、ボスニア・ヘルツェゴビナに雇われたアメリカのPR会社の辣腕社員の手で、いかにセルビア側が『悪玉』にされていくかを克明に追ったドキュメントだが、何だか話が出来すぎのような気がする。

確かに、このアメリカのPR会社、ルーダー・フィン社のジム・ハーフ、彼の仕事ぶりは驚異だ。

綿密に戦略を組み立て、うまく時流に乗る術を知っている。
また、常に法を遵守し、倫理に悖る行為は絶対しない。記事を捏造したり、嘘の情報を流して、後から馬脚を露わすようなヘマはしないのだ。

そしてポイントポイントで、キャッチフレーズを作る。
「民族浄化」「収容所」「他民族国家」など。

そしてこれが第一だが、彼は常に無私の心でクライアントに尽くす。

たとえクライアントであるボスニアの外務大臣が、傲慢でマナーを知らず、PR料の支払いをしぶっても、それで仕事のレベルを落すようなことはしない。

実際、この仕事は、ルーダー・フィン社にとっては赤字だったらしい。

だが、たかがPRのエキスパートの腕だけで、こんな国家的な存亡が決められるだろうか。まだ疑問が残る。

もし本当ならこんな恐ろしい事はない。

あと面白いのは、当時インターネットや携帯電話は普及していないため、ジム・ハーフはボスニア情報をファックスで、主要国のメディアや有力者に流していたのだが、その中に日本は一つもない。

おかげで、日本はあまりセルビア=悪のイメージがないようだ。

さて、ネットの時代、PR会社は益々高度なテクニックで暗躍することであろう。

だが私は思う。先の紛争では、悪玉にされる隙をあたえたセルビアにも非があると。そして、一般人だって、ただメディアの一方的な情報に唯々諾々と従っているだけではないということを。

PR会社ごときに、国を左右されてたまるかい!

 

 


 

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