ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

日本の和と美

白紙にもどそう・・・

九州国立博物館のそばには、あのとびうめ太宰府天満宮がある

平日にも関わらず、多くの参拝客で賑わっていた。

散策していて気づいたのだが、今回は、やたら外国語が飛び交っている。
特に、中国人と韓国人の社員旅行と思しきグループが目立つ。

まぁ高速船「ビートル」に乗れば、釜山〜福岡を3時間で行けるのだから、中韓の裕福層には、絶好の観光エリアだろう。

菅原道真公は、遣唐使の廃止を進言したことで有名だが、そんなことを知ってか知らずか、中国人のグループが老若男女、境内の前で楽しそうに記念撮影をしていた。

もちろん道真公は、当代一の中国通でもあった訳で、その十数年後に唐は滅びるのである。

さて、藤原時平らの陰謀により、道真公は901年の1月25日、大宰府に左遷される。

「こちふかば にほいおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」

当時は旧暦なので、この歌を詠んだ季節は、今の2月の終わりか3月の初めくらい。梅の見ごろの時期だったと思われる。

そして2年後の死。

今天上では、道真公と藤原時平が仲良く、酒を酌み交わしているかもしれない。

みっちゃん『あの時はひでぇことをしやがった』

ときちゃん『面目ねえ。今でもすまねぇと思っているよ』

みっちゃん『でも貴様のお陰で、あれから千百年たった今も、学問の神様として崇めたてられているんだ。気にすんなって』

ときちゃん『笑・・・』

菅原道真公に怨念は似合わない。

やがて飛梅もほころぶだろう。飛梅

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

師匠とその弟子

  鈴木「プライスコレクション」で、ひときわ印象に残った作家に「鈴木基一」がある。

実は、この名前、博物館で観て初めて知った次第。

お恥ずかしい。

「酒井抱一」の一番弟子だそうだが、師とはかなり趣が違う。

『三十六歌仙図色紙貼交屏風』

古典を愛し、風雅でおっとりした師に対して、弟子はすべてが斬新で躍動感に溢れている。

「酒井抱一」が名門に生まれ、天性の優美さとたおやかさを備えた美青年であるならば(つか、顔は分んないけど)、裕福ではないが、絵の情熱やみ難く、才能だけを頼りに成り上がっていった野生児が「鈴木基一」というのは言いすぎだろうか。

彼の『柳に白鷺図屏風』

今にも屏風の外に飛び立ちそうな白鷺と柳の絶妙さ!師の絵にはこんな理知的なところがない。
師は情緒的な文系、弟子は理系なのかもしれない。

suzuki

 

 

 

 

 

 

はみ出した天才絵師

九州国立博物館の『プライス コレクション』には、若冲の他にたくさんの優れた作品が展示されている。

私がまず惹かれたのが、長沢芦雪。nagasawa1

この「白象黒牛図屏風」の、あっけらかんとしたおとぼけ加減を見よ。

屏風からはみ出している、白象さんと黒牛君。
そのそばで、白い小動物と黒い鳥が「な〜んちゃって!」と言ってるようだ。
象さんなんてこりゃ明らかに手抜きだよ、芦雪くん。

 

さて、打って変わって「牡丹孔雀図屏風」

nagasawaこの孔雀の羽の一つ一つの緻密でなんと美しい事か。

思わず見惚れて、しばらくの間、立ちすくんでしまった。

芦雪の他の作品、例えば「幽霊図」や「猛虎図」らも個性的だ。

「猛虎図」なんて私の目には、虎の鷹のハーフに見えてならない。

個性派ぞろいのプライスコレクションの中でも、やんちゃ坊主の芦雪は、長寿が多い日本画家としては異例の44歳の若さで亡くなっている。

絵を描くのが楽しくて楽しくて仕方がない。きっと彼はそんな風に、短い一生を駆け抜けたのであろう。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳥獣たちの午睡

ジャクチュウ1まだ1月なのに、大宰府の飛梅が匂いそうな暖かい日、その天満宮の近くにある「九州国立博物館」で、『プライスコレクション 若冲と江戸絵画絵画』を楽しんできた。

ジョー・プライスというアメリカの一青年が、なぜ、若冲の絵にのめり込んでいったのか、何が彼を惹きつけたのだろうか、その謎を知りたかったが、自分のように絵画の素養のない者に、分るだろうか。

先ず、「葡萄図」

プライス氏の人生を激変させた作品の前に立ち、私にも何か変化があるかなと期待したが何もなかった。まぁ当り前か。

若冲にしてはおとなしい作品だと思う。でも蔓や葉の一つ一つが生き生きしている。

若冲というと派手な色彩や大胆な構図が思い浮かぶが、彼の真骨頂はこの生命力というか、躍動感なのだろう。

「紫陽花双鶏図」
かなりデフォルメされた鶏だが、その表情がただ者ではない。
とさかのポツポツまで克明に描かれたその顔は険しく、若冲自身の激情を表しているようだ。

そして「鳥獣花木図屏風」
実はこれ、私の中で想像が勝手に膨らみ、まるでゴーギャンの描いたタヒチの絵のようなトロピカルな、かつ巨大なものと思っていた。

実物は思ったより大きくなく、ところどころ色も落ちていて、多少くすんでいるようにも思えた。

もちろんガッカリなどしていない。逆にああ、これは日本の絵だな、としみじみ感じた。

象、アシカ、バク、火の鳥などなど、日本にはいない、あるいは架空の動物たちが派手な色彩で描かれていても、そこに描かれているのはまぎれもない日本の情景だ。

平面的でおだやかな表情で佇んでいる動物達を見て、横にいた家族連れの3歳くらいの女の子が「ぞうさんやらいおんさんやおさるさんがなかよくしてるね〜」と喜んでいる。

ここの動物たちは他と違い、躍動的というより、静謐で時が止まっているような印象だ。

若冲は、極楽浄土としてこれを描いたのかも。

それにしてもこの中の「火の鳥」手塚治虫の漫画そっくりだ。つか、手塚氏が参考にしたのかな。

さて、私にとってはキャパシティの大きすぎた絵画展。

一回ではとてもとても書ききれないので、これから少しずつ感想を書いていこうと思う。

ジャクチュウ

さわりたい器

miwa2007年最初の展覧会めぐりは、福岡三越で開催された、人間国宝、三輪壽雪の萩焼を楽しんできた。

三輪氏は96才の今も現役バリバリである。
ちなみに会場に入ってすぐ真正面に、平成18年作の鬼萩茶碗が鎮座していた。

ざっくりと素朴で、力強い萩焼は大好きだが、三輪氏のそれは、特にダイナミックだ。

面白いことに、氏の若い頃の作品(と言っても50代頃だが)は、整ってはいるが、無難で小さくまとめたようなのが多い。

それが老境に入るにしたがって、こだわりが消え、豪快で生き生きとした作風に変わっている。

まるでやんちゃな爺さんが土をこねて遊び、あとは土と火と偶然に、ゆだねるだけさ、という、おおらかさに溢れている。

さて、いつも不満に思うのだが、美術、特に茶碗においては、触覚というのが重要だ。

萩焼、とくに今回の粗砂を混ぜた土で造った『鬼萩』などは、触らなければその魅力が分らない。

手に持った時の質感、重み、ざっくりとした手ざわり、ぬくもり、もしくは冷たさ。

贅沢を言えば、口にした時の唇の感覚。そこまで行って、初めて味わったと言えるのだ。

ガラスケースの外から観るだけでは、その魅力の半分も分らない。

また、鬼萩茶碗の乳白色の美しさは、煌々と明るい電気の下ではなく、薄暗い茶室の中においてこそ、そのなまめかしさが際立つのだ。

だが、そんなことを言ったら、よほど有名な蒐集家と懇意になって、その人が亭主をする茶事に招かれるしか方法はない。無理な話である。

そんな訳で、今夜はせめて、鬼萩茶碗でホットミルクを飲む夢を見よう。

炎芸術 (No.87)

 

 

 

 

湖畔に沈む美術館


ステンドグラス先週、「山陰二大美術館めぐり」というツァーに参加したのだが、「足立美術館」に気持ちが行っていたためか、もう一つの美術館「ルイス・C・ティファニー庭園美術館」については、ほとんど予備知識がなかった。

「イングリッシュガーデンきれいだよ」と聞いていただけで、たいして期待もせず行ってみたのだが、これがどうして、予想以上に良かった。

アール・デコ風の美しいポーチ、咲き乱れる花々、そして館内に入ればガラス張りの広々とした回廊が続く。

そしていきなりガイダンス・ルームで写楽や歌麿の絵、柿右衛門の壺に出会う。

館内は19世紀後半から20世紀にかけてのジャポニズムが溢れている。

写楽アールヌーボーの美しい調度品の数々、ステンドグラス、宝飾品・・・・・。

有名な五番街の「ティファニー&カンパニー」に生まれ、たくさんの美術品を作ったルイス・C・ティファニーとその時代の作家の作品が、山陰の小都市の美術館の広々としたフロアに溢れている。

そして外に出れば、宍道湖の陽光と美しい草花たち・・・・。

大変素晴らしかった、素晴らしかったのだけど、美術館全体が何か空疎な感じなのだ。施設が広すぎるせいか、それとも展示品の豪華さのわりに、お客が少なかったせいか。

足立美術館のような、腹にズシンと来るような迫力が感じられないのである。

そして見学の後、旅行会社の人がそっと教えてくれた。

「ここ来年の3月で閉館するんですよ」

う〜ん、空疎な気持ちがするのはそのせいだったのか。やはりお客、来ないよねぇ、人口少ないし。こういちゃ何だか山陰よりも、神戸か横浜に建てた方がよかったのでは、などと色々考えた。

だが家に帰ってHPを見てひっくり返った。うわ、何か複雑そう。市長との間にどんな確執があったんだ。

後味の悪い結果になってしまったが、美術館自体は大変見応えがあるので、近々山陰に行く予定の方、ぜひ立ち寄ってみては。

日本を愛したティファニー

 

 

 

 

美女とカニ

adachi2足立美術館の感激がさめやらぬ今日このごろだが、和風庭園と横山大観の名作は王道として、他に強い印象を持ったのが、上村松園作の『待月』と北大路魯山人の作った器の数々である。

実は上村松園の実物を見たのは、今度が初めてであった。

何というたおやかさであろう。抜けるように白い肌と水色の薄物の着物。うっすら透けて見える赤い柄の長襦袢。

松園美しく結い上げた日本髪の、鹿の子絞りの髪飾りの角のぽつぽつまで丁寧に描いているのがさすがだ。

この絵が描かれたのは昭和19年。戦争真っ最中で、町中では国防婦人会の怖いおばさんたちがモンペにかっぽうぎで、「ぜいたくはやめませう」とか「長い袖は切りませう」とか行ってハサミを持ってうろうろしていた時期だ。

戦局も何のその、悠々と、しどけない贅沢な若妻の姿を描いた松園を想像するとなんだか楽しくなってくる。

さて、美術館の中の北大路魯山人室を見ていると、無性にお腹がすいて来た。

とにかく魯山人の器は食欲をそそるのである。

「美しい」、と思うより「ああこのお皿に金目の煮付けを盛って食べたいなぁ」と思わせてしまう、不思議な作品ばかりだ。

魯山人については、美食家でずいぶん意地の悪いじいさんというイメージを持っていたのだが、展示されている器はどれも可愛い。

そんな訳で、腹を空かせて美術館を出た私が、松江の旅館でカニを始めとする海の幸をタラフク食ったのは言うまでもない。

 

 


 

完全な美。不完全な美。

昨年、おおたさんのブログを見て以来adachi1ずっとあこがれていた「足立美術館」に念願かなって行ってきた。

地図を調べてみると、えらい不便な地にある。アクセスをどうしようか考えた末、地元西鉄の「一泊2日山陰二大美術館めぐりと松江しんじ湖温泉の旅」なるバスツアーに便乗する。

色づき始めた紅葉を眺め ながら、バスは中国自動車道をただただひた走り、「砂の器」に出てきたそろばんで有名な亀嵩を通ったりして、6時間以上の乗車の末、やっと到着。

さて、あまりにも完璧な庭園と、横山大観を初めとする名品の数々に動転し、あせって見学するが、時間配分がうまく行かず、充分咀嚼できないまま美術館を後にしたような悔いが残る。

それにしても、あの和風庭園の完全さはなんだろう。
元来、日本人はあまり完璧なものは好まない。

『茶の本』において岡倉天心は、不完全なる美を礼賛している。

千利休の逸話にも、完璧に掃除された庭を嫌って、樹をわざと揺すって一面に葉をまきちらして満足した、というのがある。

だが、私は足立美術館の完全な庭園に、天真爛漫な美を見た。

例えば、ひなびた萱葺きの茶室の中には、嫌味ったらしいというか、とてもスノッブな雰囲気のものがある。

「この茶室は、一見みすぼらしいけど、見る人が見れば金がかかっているのがすぐわかるわよん」というような妙な選民意識である。

でも、足立全康翁の建てた美術館にはそれがない。ただひたむきに美しい和風庭園を見せたいという素直な情熱があるだけである。

そのひたむきさ素直さがあるから、完全な美でありながら冷たさや息苦しさを感じないのだ。

ところで、足立美術館の中心をなす横山大観の師は、岡倉天心である。

完全な美を求めた足立翁と、不完全な美を愛した岡倉天心が、大観を通じて繋がっているのが面白い。

きっと手段や方法が違っていても、目指したものは同じなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

紬のおんな

先日リサイクル着物店で、単衣の紬の着物を買った。リサイクルといっても、まだ誰も袖を通してない品で、淡い藤色に矢絣の飛び柄が点々とついている。おそらく花嫁道具で作った着物の一枚が、しつけ糸をつけたまま、流通してきたのだろう。

値段も手頃で、梅雨の季節や初秋の普段着にちょうど良く、大変満足している。

さて、私の周囲で着物をよく着る人はまったくと言っていいほどいない。老母の着物姿は、結婚式やお葬式の時しか見た事がないし、第一着付けが出来ないらしい。

昭和一桁生まれでさえこれなんだから、それ以降の女たちが着物が着られないのも当り前だ。

そんなわけで私の着物の知識のほとんどは書物から得ているが、その中で、特に参考にしているのが、群ようこ氏の「きものが欲しい!」と「きもの365日」だ。

この人、大人気作家でありながら、大変手マメな方で、編み物が上手いのは有名だが、襟芯を縫い付けたり袋物を作ったり(着物にはいつもチマチマした針仕事がついて廻る)の手仕事もこまめにするし、ウールの着物など自分で縫うこともあるらしい。

群氏の本が役立つ理由として、年齢が近いのと、同じ小柄でショート・ヘアである事。そしてなんといっても着物の趣味が似ていることにある。
氏は、華やかな染めの着物が苦手で、地味で落ち着いた織の着物を好む。

もちろんこの人の買う着物と私のそれは、値段にして雲泥の差があるのは明白だが、花柄の染めの着物など恥ずかしくて着られない気持ちはよく分る。妙にそわそわして落ち着かないのだ。

その点、大島紬などに代表される織りの着物は安定感がある。何より“けなげさ”がある。目立たないけどひたむきに生きています、そんな意志を感じるのだ。

そんな一見庶民的に見える紬だが、実はかなり値段が高い(もちろん物にもよるが)

そして一見庶民的で気さくなおねえさん風の群ようこ氏だが、実はかなり高価な着物を多く所有している。

やはり群ようこは紬の女だ。

 

 

 

 

 

二つの展覧会から

先日、門司の出光美術館にて『古唐津百選』を観に行った。茶碗についての見識は持ち合わせていない私だが、古唐津の、鄙びたアンコールワット唐津焼き土の香がしそうな味わいには心ひかれる。

このたびの展覧会では、西日本で最高の古唐津コレクター、田中丸家の逸品も、多く出展されている。

田中丸家は、地元の老舗百貨店「玉屋」の創業家だが、現在、百貨店の方は経営不振で、閉店の憂き目にあっている。

「おいおい、肝心のデパート潰しておいて、コレクションかよ」と、意地悪な突っ込みを入れつつも、名品の数々に心が和む。

古唐津の器に、佐賀呼子のイカの薄作りや玄界灘の魚の煮つけを盛ったらさぞ映えることだろう。そして旨い日本酒を酌む。

唐津焼を見ると、私はなぜか食欲がわいてくる。

さて、翌日、地元の百貨店で催されていた『大アンコールワット展』をのぞいてみる。

会場に一歩足を踏み入れた瞬間、胸がときめいた。
ヒンドゥー教の神々や仏像の持つ、肉体の若々しさに。
たくましさとしなやかさをあわせ持つ体は、美しい曲線を描き、その上に乗った顔は彫りが深く、神秘的な微笑をたたえている。

日本の仏閣にある仏像の、悟り済ましたような表情ではなく、素直に育った高貴な青年の持つ、ごく自然な慈愛のほほえみなのだ。

こんな表情で生き、そして死んでいけたら・・・と思う。

そして、美しい笑みをたたえたクメールの神々は、カンボジアの地における苦難の日々を、どんな思いで、見続けていたのだろうか。

 

 


 

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