ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

Category: アイルランド


先日アイルランド関係の映画のDVDを2本観た。

『ギャング・オブ・ニューヨーク』と『麦の穂をゆらす風』だ。

『ギャング・オブ・ニューヨーク』は、大英帝国の圧制に加え、ジャガイモ飢饉から逃れるため多くのアイルランド移民がやってきた、19世紀中頃のニューヨークの物語である。

やがて、彼らの子孫からは、ハンサムな大統領も生まれるが、9・11テロで、多くのアイルランド系の消防士が犠牲になった。

さて『麦の穂をゆらす風』は、20世紀初め、第一次世界大戦が終った頃の物語だ。

英国の締め付けや飢饉にも負けずに生きのびてきた、アイルランド人の暮しは貧しい。
ボロボロの家、粗末な身なり、食べ物はお粥のようなものをすすっている。
英国軍の厳しい取締りで、集会や言論の自由も認められていない。あるのは美しい緑の大地だけ。

だがアイリッシュは逞しい。彼らは密かに義勇団を作り、あくまで抵抗を続けているのだ。

しかし英国は、もっとしたたかだ。

第一次世界大戦に疲れきった英国は、アイルランドと休戦条約を結ぶ。

しかしその内容は、アイルランドは名目上英国に従属し、英国王に忠誠を誓わなければならないという。そして北アイルランドは英国に帰属される。

この条約の受け入れをめぐって、アイルランドは分裂する。
戦争を早く終らせたい人と、あくまで100パーセントの自由を勝ち取りたい人と。

このあたりの様子は、『マイケル・コリンズ』という映画でも描かれていたが、さすが7つの海を支配した英国。

敵を分裂させてお互い戦わせるつもりだったのだろう。

『麦の穂をゆらす風』のアイルランド同胞は、この企みに翻弄され、やがて兄弟や友人同士が殺しあうことになるのだ。

歴史に翻弄されながらも強く生きていくアイリッシュ魂に感動すると共に、やはり英国は手強いな。


 

 

 

 

 


 

ハイビスカス私の大好きな詩がある。丸山薫(1899〜1974)の「汽車にのって」である。

汽車にのって

あいるらんどのような田舎へ行こう

ひとびとが祭の傘をくるくるまわし

日が照りながら雨のふる

あいるらんどのような田舎へ行こう

車窓に映った自分の顔を道づれにして

湖水をわたり 隧道をくぐり

珍しい顔の少女や牛の歩いている

あいるらんどのような田舎へゆこう

この詩は、6年ほど前、雑誌「SWITCH」を読んで知った。今は引退した沖縄の歌手Coccoの特集があり、アイルランドで撮影された彼女の写真とともに、この詩が載っていたのだ。

当時、この特集を企画した人センスあるなぁ感心したものだ。アイルランドの風景とCoccoが見事に溶け合っている。以前から沖縄民謡とケルト音楽は似ているなぁ、と漠然と感じてはいたが、やはり不思議な縁を感じている人がいたんだ。

「ナビィの恋」という映画があった。沖縄の旅情あふれるこの映画にもケルト音楽が登場する。そして平良とみさん演ずるヒロインは、初恋の人と、60年の時を超えアイシテルランド(アイルランド)へ旅立つのだ。それをやさしく見守る、亭主役、登川誠仁の三線の音色が胸を打つ。

ちなみに平良とみさんの師匠は、沖縄琉球芝居の第一人者で、貴重なウチナー口の伝承者、真喜志康忠氏で、この人はCoccoのおじいちゃんでもある。

不思議な縁を感じる、沖縄とアイルランド、何かどんどんはまってしまいそうだ。

 

 

 
ナビィの恋

今、司馬遼太郎の「街道を行く 愛蘭土紀行」を読んでいるが、とてもおもしろい。文学的なことが多すぎるきらいはあるが、(著書の中でも言われていた)こんなにキャラの立った国民性もめずらしい。特に興味を引いたのは「アラン島」だ。

一枚岩のような島で、土壌がほとんどなく、生活の手段は、木の葉のような船に乗って魚を捕るしかない彼ら。著者の友人のこんな言葉があった。

「人間もタンポポもおなじなんですね。種子が落ちたところが極楽だとおもって住んでるんですね。たとえ極楽だとおもわなくても、勇敢に住みつづけるんですね。そこが人間の偉大なところですね」

まさに哲学的な生き方ではないか。

さて、毛糸編みにとって、アラン島は憬れの地である。かのアランセーター、島の女が夫や息子たちのために編むそれは、家々によって網目模様に違いがある。海で遭難した時、セーターの模様で、どこの家の者かすぐ分かるように。死は日常生活の一部だったのだ。

普通のメリヤス編みのセーターでさえ、網目を間違えるへっぽこニッターにとってアランセーターを編み上げるのは夢の又夢だが、がんばっていつの日か完成させたい。

ただ不思議に思うのは、苦しい生活の中で、アラン島の女たちは毛糸をどうやって手に入れたのだろうか。お隣のアイルランド本島から買ったと思うが、当時はアクリルやナイロンなどなかったし、純毛の毛糸って高いのでは。それとも祖父の着ていたものをほどいては編み、ほどいては編みを繰り返していたのかな。

 

ところで、著者がかの地を訪問したのは1987年頃で、当時は大変な不況で失業者が溢れていたが、今アイルランドは好景気だ。そしてアラン島も最近、観光客が世界中から訪れているそうな。

観光客のおかげで、島民が潤うのは良いが何だかなぁ〜。あのざっけない国民性の彼らにホスピタリティは期待できるのか?

やはりアラン島は遠くにありて想うものだ。

 

冬木


アラン島ほか

建物アイルランドをテーマ、および舞台にした映画には、渋くて見ごたえのあるものが多い。「マイ・レフトフット」や「マイケル・コリンズ」「父の祈りを」など。陰りのある映像もシックで落ち着いているし、役者たちも他のハリウッドとはちがって、街並みに自然に溶け込んでいる。

さて、ニール・ジョーダン監督の「クライング・ゲーム」という映画がある。公開時この作品には「未鑑賞の人に結末を語ってはいけない」という約束事があり話題になった。そして多くの評論家やジャーナリストはそれを守ってくれた。だから私は映画を観るのを楽しみにしていたのだ。

さてある日、毎日新聞のシネマコラムにこの「クライング・ゲーム」の写真が記載されてあった・・・。うっかり記事を読んでしまった自分が悪いのだが、まさかあんなに堂々とネタバレが書かれているなんて思ってもみなかった・・・。

きっとあのコラムを書いた評論家は、映画を見る人よりも、映画は見ないが薀蓄は語りたいと言う人のための記事を書いていたのだろう・・。

翌日、気を取り直し、映画館でこの作品を観たが、ネタバレされたにもかかわらず、とても素晴らしい内容だった。特に「かえるとサソリ」の話は印象深い(この話、昔どこかで聞いた事があるが、思い出せない)

もうすぐこの映画の完全版DVDが出るらしい。久しぶりに見てみたい。そして、あの寓話をもう1度味わいたい。

    


クライング・ゲーム DTSスペシャル・エディション

D−SITE最近、「D−SIDE」というアイルランド出身の若い男性グループのCDをよく聴く。若者らしく爽やかで良い感じの楽曲だ。

アイルランド出身のアーティストで思い浮かべるのが、まずU2、シンニード・オコナーやエンヤなどだろう。いずれも素晴らしい才能の持ち主だが、ややメッセージ性が強すぎたり、いかにもアイルランドの風土や歴史をしょっているみたいで少々濃すぎる気もする。

その点、D−SIDEは、ブルーやバック・ストリート・ボーイズのように、素直に楽しむことが出来る(ミーハーもちょっと入っているが)

アイルランドという国に以前から興味を持っていた。「シーザーも来なかった島」などと言われ、古代ギリシャ・ローマといったヨーロッパの基調からはずれた独特のケルト文化、小人や妖精、そしてカトリック。アイルランド人の殆どであるカトリック信者は、長い間、英国から厳しい弾圧を受け、経済的にも、また文化的にも最低の生活を強いられていた。

それにもかかわらずアイルランドは、数多くの偉大な文学者を輩出している。彼らの言語能力と想像力は、はかりしれないものがある。はかりしれなくて、実はさっぱり分からない。ジョイスの「ユリシーズ」を何度か目を通したことがあるが、頭が痛くなってくる。やはり当地に生まれ育った人か、歴史的素養のある人しか理解できない文学なのか・・・。

ドラマティックな歴史を持つせいか、アイルランドの音楽や文学と言うとすぐ深読みするきらいがある。でもD−SIDEにしても、ごく今風の若者だ。もっと気楽にアイルランドの文化を楽しんでみたい。「ユリシーズ」はまあ特別と言うことで。

    


ユリシーズのダブリン

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