ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

Category: 絵本

飾り山笠 今、「ブックトーク」なるものを作成している。
これは主に児童・生徒を対象に、あるテーマに関する分野の異なる数冊の本を選び、その一部を読み聞かせしたり、ストーリーを話したり、エピソードを披露するなど関連づけて紹介し、その本を読みたいという気持ちにさせる、まぁ「読書の動機づけ」として効果あるツールである。

図書館の専門職員や、学校の先生、またボランティアの方など、多くの方がブックトークを作り、子供たちに紹介しているらしい。

とても楽しい作業なので、私自身はなんの不満もなく嬉々として作成してはいるが、こんな風に至れり尽くせりの読書案内をするのが、果たして子供にとって本当に良い事なのか、若干疑問なのも確かだ。

年寄りの繰言とは思うが、私が小さい頃、児童用の本など親から買ってもらった記憶がない。それどころか「本を読みすぎると目が悪くなるから読むな」とまで言われていた。

あれは確か小学校の2年生の頃だったか近所に、子供はアンポンタンだが、母親が教育熱心で児童童話大全集などが、ぎっしり揃っている家があった。

私はある時からその家に毎日通って、児童本を一冊ずつ借りるようになった。きっかけは全く覚えていない。当時、引っ込み思案で人見知りの激しかった私がなぜ、まるで年期の入った主婦のような図々しい行動に走ったのか今も不思議だ。

教育熱心なその母親は、最初のうちは気持ち良く本を貸してくれた。家に飾っているだけで、全く読んだ気配のないそれらの本はとてもきれいで、ページをめくるたびにふわっと広がる印刷のにおいが鼻をくすぐったものだ。

しかし、日が経つにつれ、その母親の態度はだんだん冷淡になっていく。そして或る日、いつものように「ほんをかりにきました〜」と玄関に立っている私に「もうだめですよ!」と一言。我慢も限界だったのだろう。

そんなわけで、子供の頃の読書を思い出すと、ほろ苦さがつきまとう。

 

さて、美智子皇后の書かれた「子供時代の読書の思い出」。これは何度読んでも素晴らしい。疎開先で、お父様が持ってくる本を心待ちにしている少女の瑞々しい感性が心を打つ。

本の神様は、自ら求めた人だけにしか降りてこない、と私は今でも信じている・・・・・。

 

橋をかける―子供時代の読書の思い出

 

 

 

 

 

 

フラミンゴ先月31日、大分で、行方不明になっていた子供たちが、無事保護された。

9歳の女の子と、6歳と4歳の姉弟は近所の仲良しでよく一緒に遊んでいたらしい。

親御さんや、捜索にあたった多くの方々には申し訳ないのだが、私は思った。この子供たち・・・・かわいい。

この3人、「探検」と称してよく家の裏山に行ってたそうだ。今どき、何て無邪気な子供たちなんだろう。特に今回、迷子にならないよう、山に入る時、ティッシュをちぎって道々置いて行ったというのがしびれる。結局、風で吹き飛ばされてしまったが、年長の女の子は、きっとグリム童話「ヘンゼルとグレーテル」が好きなのかも。

3人のヘンゼルとグレーテルは(別に、親に捨てられた訳ではないが)胸をわくわくさせて、お菓子の家を探していたのだろうか。とにかく魔女に遭遇しなくて良かった。

さて、子供たちが発見された時、下の2人の子は比較的元気だったが、9歳の女の子はすっかり憔悴して見えた。多分、一番年上ということで、リーダーの重責に押しつぶされそうになったのだろう。どうかこの出来事がトラウマになることなく、このまま素直に育って、将来もっとでっかいことをしてほしい。


ヘンゼルとグレーテル

チューリップ作家アンデルセンの作品の中に「絵のない絵本」というのがある。まだ読んだことがない。

“絵のない絵本ってどんな本だろう・・・・?と、いろいろ空想するのが楽しくて、本屋や図書館にいけばすぐ分かるのに、あえて自分の脳内読書ですませている。こんな本の楽しみ方もあるのだ。書店泣かせの話だ。

さて、子供に絵本は必要である。経験知の少ない彼らは、大人と違って物語を想像力で肉付けする事が出来ない。だから絵で補う必要がある。

だが、緻密すぎる絵は良くない。一時はやった「飛び出す絵本」などは、子供は喜ぶだろうが、明らかに空想する楽しみを奪っている。

シンプルな絵、そして想像する楽しみはもちろん、食欲さえアップさせてくれた絵本が、かつてあった。

黒い肌、新しく買ってもらった色とりどりの上着、ズボン、靴、かさ。黄色いトラ、黄色いバター、黄色いホットケーキ。168枚も食べちゃった。

私の大好きな絵本が帰ってきた。うれしい。


ちびくろさんぼのおはなし

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